「僕は何でも美しいものは、測らないと気が済まないたちなのだ。」
『アルキメデスの大戦』櫂の言葉です。
日本人は、真面目です。
どんな時にも品行方正で、一貫した真面目な自分を見せようと気を張っているように見えます。
美徳ではあるものの、残念ながら真面目なだけでは実績を出す事が困難な時代になっている事も事実です。
たとえば、海外のフットボール選手は、一流になればなる程、練習やウォーミングアップは適当に流している事が多いです。
日本人は、プロでも、練習もウォーミングアップも100%の力で取り組み、監督もファンもそれを求めている所があります。
その典型が、高校野球でしょうか。
ポジションにつく時にも全力疾走、ベンチも含めずっと謎の大声を出し、皆坊主であるという所に日本人は感動するというシチュエーションが出来上がっていますが、そろそろその流れも終わりにしてもいいのではないかと思います。
私は、メッシが100%の力で練習もウォーミングアップも試合も取り組んでいる所を見た事がありません。
メッシが100%を発揮するのは、90分の試合の中で、1分程度です。
日本人のフットボールは常に100%を求められる為、メリハリがなく、その為、観ていてもつまらない試合となってしまいます。
常に力を抜く事で、ここぞのタイミングで相手を凌駕する力を発揮する事が出来るのです。
ヨーロッパのフットボールで、どんな強豪のチームと格下のチームが対戦をしても、格下のチームもある程度ボールを保持出来る理由もここにあります。
Jリーグのチームがヨーロッパのチームと対戦をしても、ボールを保持出来る理由も同様です。
私は、日本人はもっと不真面目になるべきであると考えています。
そうする事で、日本人の同調圧力や忖度等も減少すると思うからです。
数字という結果で判断されるカルチャーになれば、威張る必要も、へりくだる必要も、マウントを取る必要も、なくなります。
現在の日本人の真面目さは、数字という結果を出す事が出来ない人々が、何とか会社にい続ける為のパフォーマンスのように感じてしまいます。
不真面目となり、数字という結果を出し続け、同調圧力や忖度を減らしていく。
海外から学ぶ事が取り沙汰されていますが、私が海外から学ぶべき点は、ここに尽きると思います。