先生という呼び名を辞めたらどうか

 私は、大学生の頃から、教師や医師、弁護士等のことを先生と呼ぶことに対して、違和感を感じていました。

 先に生まれたと書き、先生と言いますが、先に生まれたことが重要なことでしょうか?先に生まれたというだけで、尊敬も出来ない人の言うことを聞かなくてはならないことに違和感を感じていましたが、周囲の友人はその違和感すら感じていない様子でした。

 教師は学校、医師は病院という狭い閉ざされた空間の中でのみ、生活をしています。しかも、大学を卒業し、社会経験すらない中で、ずっと先生と言われ続け勘違いをした「大人子ども」とも思えることがあります。

 経験をしたことがある人なら理解出来ると思いますが、確かに先生と呼ばれると優越感を感じます。しかし、その優越感が、誤った方向に働くことが多いのが現実です。

 仕事において病院と連携を取ると、看護師等はお客様である患者や家族、他の会社の方ではなく、医師にばかり気を遣います。普通の社会であれば、あり得ないことです。お客様がいる場面で、お客様ではなく、自分の会社の上司にばかり気を遣う会社が存続すること等出来ません。

 また、退院前カンファレンスに呼ばれると、医師は時間に遅刻する上に、病状の説明を1人で30分程されることが多いです。「病状の説明は紙に書いてあるからいらないし、話は1分以内にまとめろよ。」と誰か言わないのかなと毎回思います。ここでも、先生という存在が、他者の時間を奪い、その結果として合理的な働き方を阻害しています。

 さらに、先生と呼ぶことで、呼ぶ側は自らが学ぶことを放棄しているようにも思います。医師が説明する病状位、ネットで調べれば、2分で理解出来ます。

 人は、環境に大きく左右される動物です。どのような優秀な人でも、そうでない環境に3カ月もいれば、以前の優秀さは見る影もなくなります。

 その環境に呼び名も含まれます。呼び名が変わるだけ、つまり先生という呼び名を変えるだけで、働き方は大きく変わると思います。

 私の中の先生は、『こころ』に登場する先生だけです。