光秀は魔術師信長の道具であるに過ぎない

 「魔術を演じたのは信長であった。光秀は魔術師信長の道具であるにすぎない。その道具が、人並み外れた感情を持つべきではなかった。」

 司馬遼太郎『国盗り物語』の一説です。

 『国盗り物語』の前編は、斉藤道三が主役です。

 道三は、自ら亡き後の世を婿である信長と、甥である光秀に託し、自らの人生という物語に終止符を打ちます。

 道三が、望むべくか、望むべからずか、信長と光秀により、日本史は大きく移り変わります。

 

 私が、不思議に感じている現象の1つとして、大企業に勤めている人が社名に優越感を感じていたり、会社名で仕事を取っているにも関わらず自身の能力であると勘違いしている事があります。

 大企業でも、中小企業でも、会社に勤めるという事は、率直な表現をすれば、その会社の召使いになるという事です。

 大企業に勤めているという事は、大きな屋敷の召使いになるという事。

 中小企業に勤めるという事は、中小程度の屋敷の召使いになるという事。

 

 もちろん、召使いも、その仕事を極めれば、とてもかっこいい仕事です。

 『HUNTER×HUNTER』『オーバーロード』の影響で、私は執事やメイドは、かっこいい仕事であると認識しています。

 

 バフェットの能力の輪の言葉のように、大切なのは自身の能力の輪がどこまでなのかを知る事が大切です。

 これは、能力を上げていく事以上に大切です。

 

 少々話は逸れますが、私は、人の子が何の能力も経験もないまま、生まれてくる事は非合理的であるとも考えています。

 親や前世等、誰でもいいのですが、その知識や経験が無となるのではなく、新たに生まれる新しい命にも受け継ぐ事が出来れば、人はさらに進化する事が出来るのではないでしょうか。

 20年程かけて、大人になっていくのは、生物学の点からも、あまりに非合理的です。

 『無職転生』始め、昨今の異世界転生アニメは、前世の記憶を持ったまま異世界で赤子として誕生する物語が多く、現実では冴えなかった主人公も、赤子からというスタートと現実世界と異世界の2つの世界を知るというアドバンテージの下、異世界では大活躍をしていきます。

 もちろん、上記の意見は極論のようなものではありますが、人類の進化という観点を異なる角度から見る上での材料になるのではないでしょうか。

 

 親や前世等の記憶を引き継ぎ、赤子として生まれてくる事が困難なのであれば、上記のような社会の真実を教えてくれる人の存在がとても大きな存在となります。

 親や教師だけが関わる大人という子どもが、社会の真実を知る機会は、ほとんどないかもしれません。

 私自身も、カウンセラーでも、家庭教師でも、誰でもいいから、子ども時代に社会の真実を教えてくれる大人に出逢いたかったと強く感じています。

 その為、大学時代からの家庭教師では、社会の真実を時折混ぜ込む事を意識して、生徒との会話を楽しんでいました。

 生徒は、次の日学校に行き、その話を友達にする事で、勉強以外でも頭のいいキャラとして認識され、これが成績向上にも繋がります。

 

 「もっともすぐれたものを、すりきれるまで使うというのは、信長の方式であった。信長は自分自身を最も酷使し、ついて秀吉、光秀を酷使した。」

 再び『国盗り物語』の一説です。

 もしかしたら、光秀は織田株式会社の過酷な労働に耐えきれずに、爆発しただけなのかもしれません。

 はたまた、光秀の思慮深さを考えるに、光秀は天下を獲ろうとしたわけではなく、世の為に信長を滅ぼすと考え、また信長を殺した後に自らも殺される事が信長をここまで大きくしてしまった一因である自身の責任の取り方であると考えたのではないかと私は考えています。

 いずれにせよ、信長が生きていれば、その後も数万人規模の虐殺が続いた事は明快です。

 その意味では、光秀が数万人の命を救った事にもなります。