合戦そのものは、それまで積んできた事の帰結よ。合戦に至るまで何をするかが、俺は戦だと思っとる

 

 「合戦そのものは、それまで積んだ事の帰結よ。合戦に至るまで何をするかが、俺は戦だと思っとる。猿(ひでよし)以外、本質は誰も理解せんかったがな。」

 『ドリフターズ』織田信長の言葉です。

 

 

 1560年、信長27歳、桶狭間の戦い。

 奇跡の逆転劇で、信長が勝利をしたと言われてきましたが、最新の研究により、桶狭間の勝利は信長の用意周到な準備の下による必然の勝利であった可能性が高い事が明らかになってきています。

 

 桶狭間の戦いのきっかけは、今川義元の上洛です。

 駿府(現在の静岡)から京都に上洛する途中に通る尾張(現在の名古屋周辺)を治めていたのが若き信長です。

 

 義元は、信長が家督を受け継ぐと、すぐに尾張の所領であった大高城・鳴海城を奪います。

 これにより、信長は所領の半分程度を失うと同時に、伊勢湾に通ずる海から得られる莫大な経済圏をも失ってしまいました。

 昔も現在も、武力の後ろ盾とは、経済力なのです。

 

 兵力の数で大きく劣る信長が、今川に勝利するには、総大将である義元の首を取る事が絶対条件でした。

 信長は、大高城・鳴海城周辺に砦を囲い、今川の兵糧を阻止する作戦に出ました。

 兵糧、つまり食料が運ばれなければ、城に立てこもっている兵士達は生きていく事が出来ません。

 しかし、兵糧を阻止する事すら、信長にとっては布石でしかありませんでした。

 

 信長の狙いは、総大将・義元を誘い出す事でした。

 信長の狙い通り、義元は大高城に向かいました。

 そして、義元が大高城に向かう途中にあるのが桶狭間です。

 

 合戦そのものは、これまで積んできた事の帰結です。

 勿論、そこには運も大きく影響します。

 桶狭間の場合、雨という天候が信長に味方しました。

 合戦そのものは、これまで積んできた事の帰結。

 これは、私達の勉強や仕事、人生にも通じます。

 大きな成功を成し遂げたいのであれば、その数年前からその為に積んでいく必要があるのです。