「‥私は、あなたが助けてくださると聞いて来たんですけれど。」
「うん?助ける?僕が?そりゃあムリだ。君が一人で勝手に助かるだけさ。ああいうものってのは、どこにでもいるし、どこにもいないとも言える。つまりお嬢ちゃん。君の視点‥君の心の在りようというのかな‥それが切り替わるだけなのさ。」
「禅問答ですね。まるで。」
「いいやぁ‥違うさぁ。君は薄々この答えに気づいているはずさ。君は、何かのせいでそうなったんじゃない。被害者ヅラが気に喰わねェつってんだよ。」
『化物語』戦場ヶ原と忍野の会話です。
病気だから、障害だから、高齢者だから、親の育て方が悪かったから等、忍野の言う所の被害者ヅラをしている人は多いです。
自分の責任から逃れる為に、他人のせいにしているようにも、映ります。
もちろん、病気や障害、高齢、毒親等、大変であった事は重々承知です。
しかし、そこで他者のせいにしていても、何ら現実は変わりません。
被害者意識があるだけならまだ良いのですが、このような人は、他者を攻撃してくる事が多いです。
病気がある人や障害がある人、高齢者、親と上手く関係を構築出来なかった人を支援する事には賛成ですが、病気や障害、高齢者、親と上手く関係を構築出来なかったからと言って、他者を攻撃したり、人格を否定したりするような発言をしていい訳ではないはずです。
このように、衝撃的な発言が多く、被害者意識が強い人の事を、ドラマ欲求が強いと言います。
ドラマ欲求が強い人とは関わりを持たない事を最も優先したいですが、社会生活を営む中では、このような人との関係性を皆無にする事は、ほぼ不可能です。
もちろん、お金は不快を取り除く為に使う事が第一優先の為、そのような人との関係性を少なくする為に、起業をしたり、治安の良い街に住む等の対策を取りますが、それでも、ドラマ欲求の強い人との関係性を皆無にする事は困難です。
では、そのような人と関わりを持ったら、どのように接したら良いのでしょうか?
方法の1つに、神様視点を持つ事が挙げられます。
超上から目線で相手を観察していれば「こういう人もいるんだな。」というように冷静に相手を観る事が出来ます。
『ブルーピリオド』ユカちゃんの言葉通り、人は神様と自分を比べる事が出来ないものです。
自分が神様視点を持つ事が出来れば、人、特にドラマ欲求のある人等の言葉には、何ら意味のない言葉となります。
ドラマ欲求が高い人は、自分は可哀そうな存在だから、人に助けて貰う事は当たり前であると感じています。
また、医療や介護等の仕事をしている人の中にも「私が助けてやりたい。」等という思いを持っている人が一定数います。
しかし、忍野の言葉通り「君が勝手に助かるだけ。」というものが本質です。
これは、自分で助かるように行動をしない人は助ける事が出来ないという意味も含まれます。
「君が勝手に助かるだけ。」を支援する事が、仕事の本質であると最近強く感じています。