「君、寿限無の元々の落ち(サゲ)知ってる?」
「さっきのじゃないんですか?」
「違う。元々の落ち(サゲ)は、寿限無が死ぬんだ。成長した寿限無は、友達と二人で川に落ち溺れる。友達はすぐに助けを呼べたが、寿限無は名前が長過ぎるせいで、助けを呼ぶのに時間がかかって帰らぬ人に。幸せを願い、つけた名前の所為で子が死ぬ。寿限無は元々過ぎたるは及ばざるが如しの皮肉が込められた噺だよ。」
「初めて知りました。」
「不勉強だね。君は噺に興味がないの?深く知りたいと思わないの?」
「それは‥」
「さっき君の落語を聞いていて思ったけどさ、君の言い立ては未だ音だね。言葉に成っていない。助言はここまで。あとは自分で、よく悩んで考えなよ。学は及ばざるが如くせよだ。」
『あかね噺』こぐま兄さんとあかねの会話です。
幼い頃から、私は本を読む事が大好きでした。
その為、他の友人よりも、知識や言葉の種類は多かったと思います。
しかし、大学生の頃ふと「自分の言葉は、軽くて、説得力が無いな。」と感じた事がありました。
思い返せば、大学生の言葉が軽いのは当然の事なのですが、当時の私はどうしてもそれが気に入りませんでした。
そこで、私が取った行動は、とにかく様々な事を経験してみる事でした。
国内・国外問わず様々な場所に旅行に行き、興味を持った分野の勉強には取り組むようにし様々な試験を受けたり、大人と同じくらい稼がなければと朝から夜遅くまでアルバイトをして懸命にお金を稼いだりしていました。
大学生活を終えた頃には、まだその行動が実を結ぶ事はなく「もう少し大学の勉強や就活に集中した方が良かったかもしれない。」と後悔をする事もありました。
しかし、10年以上が経過した現在では、大学の時に、様々な事に挑戦した事に後悔はなく、その経験が現在の私を構築していると強く感じています。
こぐま兄さんの言葉通り、経験も勉強をしていない人の言葉は、ただの音のように聞こえてしまいます。
音を言葉に変えていく為には、経験や勉強が必須です。
今日も、音を言葉にしていく為、経験と勉強を重ねていきましょう。