…だから、僕は弱いんだ…
…努力したとか、全力を尽くしたとか、信頼とか、裏切りとか、余計なことばかり頭をよぎる…
…真経津さんは、もっと純粋に争う…
…敵に塩を送り続け、自らは喜んで毒を飲む…
…命を懸けて求めたものは、成長とか真実とか本質とか、そんな曖昧なものじゃなく、ただ一度だけ敵に「ハズレ」のレコードを触らせること…
『ジャンケットバンク』御手洗の脳内言葉です。

私は「善悪」で物事を考える人が、好きではありません。
否、「善悪」で物事を考える人は、考える事もせず、言葉にしている事が多いのではないでしょうか?
人間社会の御都合主義で、その都度でっち上げられる「善悪」ではなく「自然の摂理」で考えれば、強者は美しく、弱者は醜いものです。
否、通常以上の頭脳を持っている人であれば、そこを隠す事で日本社会が成り立っている事には10代後半で気付き、政治家等が必死に弱者に寄り添うフリをしている事にも20代前半で気付く事でしょう。
私は、多数決で一般的に「善」と洗脳されている「嘘」「建前」ではなく「でも、本当はこうだよ」という本物の知恵に出逢いたいと、強く願っています。
ただ、残念ながら、中々そのような本物の知恵を持っている人と出逢う事はありません。
きちんと仕事をして、子育てもして、社会に少しでも良い影響を与える‥。
これだけでも、かなり大変な事にも関わらず、必要のない義務まで押し付けられる必要はありません。
他人の洗脳に、負けないようにしましょう。
以前、私が住んでいた田舎町では「今日は遅くまで寝ていたのかな?」等と非難がましく言ってくる高齢者がいました。
ある女性は、チョコレートを勧められる度に「困ったわ。本当は食べてはいけないのだけど‥。」と言い、結局はチョコレートに手を伸ばし「これが私の悪い所だわ。」等と言い、チョコレートを食べていました。
チョコレートを食べる事は、悪い事ではありません。
チョコレートは、良いものでも、悪いものでもなく、ただのチョコレートです。
食べたければ食べればいいし、食べたくなければ食べなければいいのです。
余計な「善悪」の価値観を、チョコレートに付加する必要はありません。
上記のような「偽物の善悪」は、当たり前のように、信じられています。
その為、私達を生きずらくするとともに、人間関係に深刻な害を与える事もあります。
♦家の中の片づけ
家の中の片づけに関して、全く同じ基準を持つ夫婦は、いません。
そこに、問題はないはずです。
☆2人で話し合う
★どの程度なら許容出来、その許容を超えた場合、誰が片付けるのかを決める
これで、充分なはずです。
しかし、実際に生じている世界観は下記のようになっています。
★きれい好きの方が、道徳的に正しい
☆散らかす方は、間違っている
きれい好きな人もいれば、散らかっていても気にならない人もいます。
ここに「善悪」の入り込む余地は、ないはずです。
ただ「好みの問題」なのです。
意識して探してみれば、あなたの中にもたくさんの「偽物の善悪」を見つけられるはずです。
そのような世界観を私達に教え込んだのは、誰でしょうか?
親や教師です。
中には役に立つものもありますが、大抵は彼ら彼女らの都合の為に押し付けられたものである為、役に立ちません。
その為「偽物の善悪」を真に受けて「無用の罪悪感」を抱えないようにしましょう。
かつて、フリードリヒ・ニーチェは『道徳の系譜』の中で「圧倒的多数の弱者のルサンチマン(弱者の強者への嫉妬・復讐心)をくすぐる為に道徳は悪用された。」と洞察しています。
「善悪」ではない、あなたの世界観を見つけましょう。
私は「善悪」ではない世界観を持っている人と、出逢いたいと思っています。