外向型人間は、内向型人間が苦しんでいると誤解しがちだが、内向型人間は問題を内面化し、物事を自分の中で処理しているだけである。一方、外向型人間は問題を外面化し、他人との交流の中で問題を処理しようとする2

 

 「擬宝珠まで知ってるのか?こぐまは、よく勉強してるな。こんなにも古い演目の話が出来る相手は初めてだよ。」

 「いや‥。」

 「まいけるも、こぐまみたいに、もう少し落語に真剣になってくれたらなあ‥。」

 「‥僕は、まいける兄さんが、羨ましいです。学びが評価されるのは学生まで。好き勝手やってるのに人望がある。どんな業界でも成功するのは、あぁいうタイプ。学びは‥存外役に立たない。」

 「‥こぐま、前髪上げたら。デコ出して。メガネも外しちゃってさ。」

 「どういう‥。」

 「もっと堂々とした方がいいって話。こぐまに足らないのは、自信だよ。」

 「‥はぁ。」

 「分かる。分かるぞ。そう言われてもな‥って思うよな。信じたくても、自分を信じられない。でも、本で得た知識なら、信じられるだろ?知識は、外付けの自信だ。不安を埋める支えになる。役に立たないなら、役に立つまで極めればいい。大丈夫。こぐまの知識で、輝く噺はある。」

 『あかね噺』阿良川志ん太と阿良川こぐまの会話です。

 

 

 内向型の人が、外向型の人と異なるのは、精神的エネルギーの生産と消費の方法です。

 外向型の人は、外界から多くの刺激を必要とします。

 仮に、その刺激が得られなければ、外向型の人は、エネルギーを消耗し、退屈や孤独・疲労を感じるようになります。

 

 これに対し、内向型の人は、外界の刺激をあまり必要としません。

 むしろ、社交の場は、エネルギーの消耗に繋がりやすいです。

 その為、内向型の人は、なるべく社交の場から身を遠ざけ、自分らしく振る舞う為に、1人で過ごす時間を大切にするようになります。

 

 

 外向型の人が、外界からの刺激をたくさん必要とするのには、科学的な理由があります。

 外向型の人は、内向型の人よりも、神経伝達物質であるドーパミンに敏感なのです。

 実際、外向型の人と内向型の人とでは、優秀な神経伝達物質が異なります。

 

 内向型の人はアセチルコリンを主な神経伝達物質として使い、外向型の人はドーパミンを主な神経伝達物質として使います。

 アセチルコリンは、思考と感情を通じて生産され、集中力を研ぎ澄まし、記憶力を改善し、幸福感を高めます。

 つまり、内向型の人は、思考・観察・熟慮に時間を使う事により、自分を刺激する事が出来るのです。

 

 これに対し、外向型の人は、より多くのドーパミンを生産する必要があり、その為にはアドレナリンが必要となります。

 活動を増やす事と、刺激を求める事は、どちらもアドレナリンを増やすのに効果的な方法です。

 その為、外向型の人は、外界からの刺激が得られないと、集中力を失いやすく、気分が沈みがちになるのです。

 

 

 …志ん太兄さん。違うんです。それしか出来ないんです。親の都合で転校が多くて、どうせ転校するし‥って、人付き合いが億劫で、本や勉強に逃げてきました。だから、大学にも居場所はなかった。僕より賢くて何でも出来る人を目のあたりにして、惨めで情けなくて…

 「おっいい本読んでるねー。知ってる?その本、落語がモデルなんだぜ。」

 …あの時、落語と出会っていなかったら、どうなっていたか。大学を辞めて落語家になった今でも、人付き合いは苦手で、一回りしたの妹弟子に心配されて、悩む弟弟子に声も掛けられず、外付けの自信に縋っています…

 …変わりたくても、人はそう簡単に変われない。ならせめて、胸を張って言いたい。積み重ねた知識が、僕の武器だと…

 『あかね噺』阿良川こぐまの脳内言葉です。

 

 

 現在のJUMPにて、最も心動かされる作品『あかね噺」

 偶然か、必然か、内向型について考えている時に、正にその噺が誌面に乗り、私は、ますます『あかね噺』を好きになってしまいました。

 

 内向型の人が、無理に外向型のようになる必要はありません。

 内向型である自分の武器を知り、磨いていけばいいのです。

 私は、内向型の人が、その武器を披露しやすい環境を作れるように、日々活動しています。