私は、95%の人よりも外向性が低いという程の、内向型です。
しかし、学生時代の友人は、私を外向的であると思っている人が多いです。
サッカーをやっていた影響で、外向性の高い友人が周りに多く、また学校内での役割も求められる事が多かった為、(否、学校や会社は外向性が高い人が生きやすいように作られている)外向性高い役割を演じる事は自然と出来ます。
それでも、私の本質は、内向的です。
その為、講師等をしている時にも、積極的に発言をする外向性の高い人だけではなく、発言を控えているけれど人よりも多くを考えている可能性の高い内向的な人にも発言して貰うように、意識せずとも実践する事が出来ており、この点は私が教える立場となった時に強みとなっています。
私は、小学校2年生まで、自分の意見を言う事が出来ず、同級生からも軽んじられる態度を取られる事が多かったです。
その時の、何とも言えない気持ちは、いまだに心の奥底に残っています。
誰とでも仲良くする事が出来、自分の言動が相手に与える影響もあまり考えずに人に頼る事が出来る外向的な人は、内向的な人からみると「生きやすいだろうな」と見えます。
しかし、内向的な人が外向的な人と同じように「頼っていい」等と言われても、すんなりと頼る事等、出来ないのです。
外向的な人は「頼っていい」と言われたらその言葉のまま頼る事が出来ますが(内向的な人からみると頼っているというよりも、甘えているように見えてしまう事も多い)、内向的な人は相手の生活の事・相手の時間の事・相手の本当の気持ち、そして、自分や自分の家族の事は最低限自分や家族で努力をした上で頼るべきであると考えている為、「頼っていい」と言われても、外向的な人のように、その言葉のまま頼る事が出来ません。
勿論、相手が「頼っていい」と言ってくれたのなら、頼った後どのように感じるのか等は相手の課題であり、こちらの課題ではない事等も、内向的な人は百も承知です。
それでも、相手の事を考えてしまうのが、内向的な人なのです。
私は、内向的な人が良い・外向的な人が悪い等と、主張をしたいのではありません。
世の中の半分の人は内向的な人であり、世の中の半分の人は外向的な人です。
内向的な人・外向的な人、どちらもいる事で、世の中は成立しています。
内向的か、外向的かは、50%が遺伝で決定します。
その為、この問題を、当人の努力だけに押し付けるのには、無理があります。
私は、外向的な人ばかりが得をする社会は、偏った表現をすれば「言った者勝ち」「甘えた者勝ち」「他人に押し付けた者勝ち」の社会になってしまうと考えています。
人知れず人に迷惑を掛けない為に、自分で努力を続けている内向的な人を、私は応援したいです。
これは、学校や会社だけではなく、家族間においても、同様です。
主張が強く頼る事が上手な外向的な家族ばかりではなく、主張が苦手で頼る事が中々出来ない、その中でも自分が出来る事をやっている、若しくは他の家族の負担を軽くする為に人知れず行動をしている内向的な家族にも、目を向けて頂きたいです。
内向的な私から宛てたこのメッセージが、あなたに届けば、嬉しい限りです。