外向性

 幼稚園の時、友人とザリガニを捕まえにいき、多くのザリガニを捕まえることが出来ました。  友人が次々に「俺は、これ。」と自分のザリガニを指差す中、私は指差すことが出来ませんでした。序列が高い友人から大きなザリガニを指差しており、私は幼いながら、「これが世の中の縮図なのか。」というようなことをぼんやりと考えると同時に、自分は序列が低い存在であることを認識しました。帰り際、友人のお母さんが親切で私に1番大きなザリガニをくれましたが、私はその親切心が哀れみのように感じ、とても恥ずかしい気持ちになったことを覚えています。  その後、サッカーを始め、サッカーの実力を上げることで、私の序列は一変しました。  これにより、サッカーチームでも学校においても、リーダーのような役割を求められることが多くなりました。  私の外向性は、下位5%に含まれる程低いものです。これは、遺伝的要因による所が大きいです。  しかし、上記のように幼い頃から、リーダーのような外向性が求められる役割をしなければならない場面を多く経験したおかげで、現在もそれ程苦もなく、外向性を出したキャラクターを演じることが出来ます。  しかし、私の元々のパーソナリティは、内向型です。中学、高校と休みの度に友人と映画を観に行ったり、買物に行ったりしていましたが、本当は1人で映画を観たり、1人でサッカーをしている方が好きでした。  大学や大人になってからも、合コンや複数の男女で出掛ける等もしましたが、1人で勉強をしたり、1人で読書をしている方が好きでした。  決して友人と一緒にいることが嫌なわけではなく、本来のパーソナリティが内向型であるというだけです。  昨今の日本も、アメリカの真似をするかのようにプレゼンテーション能力やチームを引っ張るリーダーが求められています。これらは、外向型の典型です。  もちろん、そのような能力は、仕事において大切です。  しかし、内向型の人も活躍が出来る社会こそ、多くの人が活躍できる社会ではないかと考えます。