明治維新後の大久保利通の功績は、官僚体制の構築と近代産業の構築の2つではないでしょうか。
現在の官僚体制の土台を作ったのは大久保です。
岩倉使節団として、1年半イギリスをはじめ、ヨーロッパを視察した大久保は驚きます。
24時間機械におり稼働している工場を見て、国の発展には近代産業を構築するしか手はないと気づきます。
このことを親友の西郷隆盛にも手紙で記しています。
ところが、帰国した大久保を待っていたのは政治抗争でした。
西郷をはじめとする国内に残った政治家は、韓国を武力で制服すべきだと主張します。征韓論です。
これに大久保は、反対します。
国の発展のためには、武力よりも近代産業の発展が必要であると主張します。
その結果西郷は、政界を後にし、後の西南戦争につながります。
子どもの頃からの親友である西郷と決別しても、大久保は国のことを考えます。
そして、西南戦争をしている最中、現在の上野公園で万国博覧会を開きます。万国博覧会は、日本が近代国家に近づくサインでした。
これを機に日本は近代産業の発展に邁進します。
大久保という1人の人間の感情ではなく、政治家として常に決断することができたことが大久保の政治家として素晴らしい所だと思います。