「量子力学の多世界解釈では、世界の全てが重ね合わせの状態であり、確率的に決まる出来事の数だけ、世界そのものが多数に分岐していると考えられています。例えば、レストランでメニューを注文する場面を思い浮かべてみてください。注文する前までは、何を食べるのか、あらゆる可能性の世界が同時に存在しています。しかし、ここでハンバーグを注文するとハンバーグを食べている世界が、パスタを注文するとパスタを食べている世界が現実に現れます。つまり、ハンバーグを食べている世界だけではなく、他の世界ではパスタを食べている世界も同時に存在しているのです。だから、じいちゃんが亡くなっていない世界も存在しているのです。これは別れではないのです。」
「さよならじゃないよね。離れたしても、じいちゃんは、記憶の中で息をし続けているよ。じゃあまたネ。」
私は、祖父の葬儀において、お別れの言葉を言う時、ギリギリまで上記のどちらを言おうか迷っていました。
どちらの言葉も、量子力学、つまり見えない世界の多世界解釈を意味しています。
『五等分の花嫁』の映画を観てきました。
男性客の方が多いアニメ映画を、私は初めて経験しました。
私の横に座っていた男性2人組が、10回程泣いている姿を横目に「この人達の青春は、五つ子なんだろうな。」と感じ、微笑ましい気持ちになりました。
原作を読んでいる時には、気付きませんでしたが『五等分の花嫁』においても、量子力学の多世界解釈が展開されていました。
「最後の祭りが一花の場合」「最後の祭りが二乃の場合」「最後の祭り三玖の場合」「最後の祭りが四葉の場合」「最後の祭りが五月の場合」
五つ子それぞれとフータローが結ばれる世界を、描いていたのです。
原作においては四葉と結ばれる世界が描かれていますが「最後の祭りが四葉の場合」の後の四葉の世界だけを、たまたま描いていただけなのではないでしょうか。
つまり、四葉と結ばれた世界だけではなく、同時に一花と結ばれた世界も、二乃と結ばれた世界も、三玖と結ばれた世界も、五月と結ばれた世界も存在していると考える事が出来ます。
私は、四葉と結ばれた事に、2020年以降ずっと納得出来ていませんでした。
しかし、映画を観ながら、勝手に多世界解釈を展開し、納得出来ました。
もちろん半分はギャグですが、多世界解釈、所謂パラレルワールドは、アニメや映画の話だけではなく、物理学者が真剣に定義をしている世界の解釈です。
私は夢に亡くなった人が出てくる事がよくあるのですが、これも私が選択し生きている世界とは、異なる選択がされた世界の映像が頭を過ぎっているものであると考えています。
作者に上記のような意図はないと思いますが、私は勝手に作った伏線を勝手に回収出来て、勝手に満足しています。
そして、物語はフータローと四葉との結婚式でエンディングを迎えたかと思いきや、これもフータローの夢であったというエンディングから、私の説が有力であると自信を深めています。