大政奉還により、徳川幕府は敗れ、明治新政府が誕生したように学校では習います。
大政奉還は、徳川慶喜の敗北宣言のように思われています。
しかし、事実は異なります。
大政奉還は、二枚舌の慶喜が出した政治上の一手です。
徳川幕府を倒そうとする薩摩・長州に対し、慶喜は大政奉還により政権を朝廷に返上し、薩摩・長州が倒すべき幕府を失くしてしまいました。
徳川幕府を自民党政権に例えるなら、300年続いた自民党政権を解散させ、突然野党に政権を担ってみよというようなものです。
先の民主党のように慣れない政権により、弱みばかりが露呈され、以前の自民党の方がいいと国民は思います。
慶喜の狙いは、ここでした。朝廷に政権を担うことはできないと国民に見せつけ、誰も文句を言えない段階で再び徳川政権を復活させることが狙いでした。
徳川歴代将軍のなかでも、慶喜程政治戦略が巧みな将軍はいなかったのではないでしょうか。
大政奉還は、慶喜が投じた高度な政治戦略だったのです。