天下分け目の天王山

 歴史上の出来事が現在にも引用されている言葉として生きていることがあります。
たとえば、「天王山」という言葉があります。
 天王山とは、勝敗や運命の重大な分かれ目のことを言います。 
この言葉は、明智光秀と豊臣秀吉の1582年京都天王山で行われた「山崎の合戦」を機に使用されるようになりました。
 本能寺にて信長を討った光秀を誰が討つか、もしくは光秀が天下を取るのかで時代が変わるタイミングであったとも言えます。
時代の常識を打ち破り、家柄や役職等に捉われず、能力のある者が時代を統べるべきだと主張した信長。
 これに対し、光秀はこれまでの家柄・役職重視の時代に戻そうとしていました。
秀吉が光秀を破った「天下分け目の天王山」は、時代を進めるうえで必要なことであったと捉えることができるかもしれません。