幸運な我ら2

 

 

 「若利くんは、何でそんなに強い?」

 「‥練習してるから。」

 「それ以外‥。」

 「‥‥運が良いと思う。」

ハイキュー】牛島若利という強すぎる序盤のボス : あにまんch

 

  『ハイキュー』佐久早と若利君の会話です。

 

 

 

  ♦運を、どのように解釈しているか?

 

  「統制の所在」:結果や評価等の原因をどこに求めるか

 

 「人格心理学」の分野においては「統制の所在」を「人生で起こる事は、自分のコントロールの及ばない外部の力の結果ではなく、自分の責任であるという信念の強さである」と定義しています。

 

 

 人は、純粋に偶然の出来事であったとしても、そこに何らかの意味を見出そうとする思考の癖があります。

 哲学者サルトルや心理学者フロイトを始め、多くの哲学者・心理学者が「運を信じる人は、統制の所在のレベルが低い」と主張をしています。

 つまり「運」を信じる人にとっては「運」が自分自身の責任から逃げる手段になっているのです。

 

 何かで失敗した時や、満足した結果が出せなかった時「運」の所為にすれば、少し気が楽になります。

 「運」の所為にしていれば、自分自身の課題や、自分自身の実力の不足している部分等と向き合わなくて済むからです。

 自分自身と向き合わないのであれば「努力」をする必要もありません。

 

 ただ、現在より少し「運」が良くなればいいだけの事です。

 「運」にもう少し恵まれれば、自分はきっと成功出来るという世界観です。

 

 

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  ☆「統制の所在」を自分の外にあると考えるか

  ★「統制の所在」を自分の内にあると考えるか

 

 「統制の所在」を自分の外にあるものと考えていると、自分自身の人生の出来事は他人や環境の所為であり、自分の人生は自分でコントロール出来ないという世界観を持つ事になります。

 「統制の所在」を自分の内にあるものと考えていると、自分自身の人生の出来事は自分自身にあるものであり、自分の人生は自分でコントロール出来るという世界観を持つ事になります。

 

 

 

  ♦人生は、コントロールが利く

 

 自分の人生のコントロール権が自分自身にあるという世界観を持つ人は、自分の行動の結果に責任を持ちます。

 彼ら彼女らは、自分が決めた目標を達成する為に「行動」を起こします。

 そして、その「行動」が失敗したとしても、自分の課題はどこにあったのか?どの部分の能力が足りなかったか?等と考え、次の「行動」に移ります。

 

 これに対し、自分の人生のコントロール権が自分にはないという世界観を持つ人は、自分の行動の結果に責任を持ちません。

 彼ら彼女らは、自分が決めた目標を達成する為に「行動」を起こしません。否、大抵の場合、目標を持つ事等なく、ただ何となく生きています。

 そして、仮に何かの「行動」が失敗したとしたら「運」の所為にします。

 

 

 

 「なあちょっとコレ見てみろよ。参考にしてた選手の動画なんだけど‥‥はっ俺は日本代表に何を言っている。」

 「いや、俺もコーチと試行錯誤しているところだ。それにこういうのは楽しい。」

 

 「ーじゃあ、まじでサンキューな。お陰で、空井さんとすんなり話せて、超ラッキーだったわ。」

 「ああ俺も‥‥俺は、やはり運が良い。」

 「?」

 「ありがとう。また会おう岩泉。」

 

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  『ハイキュー』岩泉と若利君の会話です。

 

 

 

  ♦運という概念は、自分には人生がコントロール出来ないという世界観を持つ人にとって相性がいい

 

 人生で起こる事に責任を持つという態度にも、問題点はあります。

 人生において、失敗は避けられません。寧ろ、失敗をしていない人は「行動」をしていない人です。

 人生のコントロール権が自分にあるという世界観を持っている人は、失敗の原因が自分自身になくても、他人や状況の所為にする事なく、自分ばかり責めてしまう傾向があります。

 

 これが、数年、数十年続いていては、どこかで必ず息切れしてしまいます。

 自分自身と向き合う事は大切ですが、10%や20%は他人や状況の所為にする心の余裕を持つ事が、長い戦いである人生において必要となります。

 

 

 対照的に、人生のコントロール権が自分にないという世界観を持っている人は、他人や出来事に、自分自身が影響を与える事は出来ないと考えています。

 極端な世界観を持つ人は、他人が自分をコントロールしていて、自分に出来る事は何もないと、最初から諦めていたりします。

 

 

  ▼「統制の所在」と「運」には、どのような関係があるのか?

 

 「運」を強く信じている人、「運」のみに大きく頼っている人を、想像してみてください。

 その人とは、人生のコントロール権は自分の外にあると信じている人です。

 

 いかがでしょうか?

 「運」という概念は、自分には人生をコントロールする事が出来ないと考え、何の「努力」「行動」もしていない人と、非常に相性が良いと思いませんか?

 

 自分には人生をコントロールする事が出来ないと考えている人は、大抵の場合、何もしません。

 自分には、どうしようもないからと諦めているのです。

 こういった思考の積み重ねが「自己効力感」「レジリエンス」等を低下し続ける事は、想像に難くありません。

 

 その一方、自分には人生のコントロール権があると考えている人は「行動」をします。

 「行動」の結果が失敗に終わったとしても、そこで自分自身の課題と向き合い、修正し、次の「行動」に移ります。

 「行動」の結果、成功をすれば「自己効力感」「レジリエンス」等を上昇し続ける事が出来る事は、想像に難くありません。

 

 

 「運」が成功の最も大きな要因である事は、間違いない。

 しかし「運」に頼るのは「努力」「行動」をした後。

 

 「運に触れる表面を拡大する努力」を続けていれば「運」があなたの下にやってきた時、確実に掴む事が出来るでしょう。

 

 

ちっちゃいコマだけど、どや顔佐久早と悔しがる牛島のやり取り好き。 | 沼にハマった大人 さんのマンガ | ツイコミ(仮)