「なぜ自分が人よりも、強く産まれたのか、わかりますか?」
「…うっ…わかりません。」
「弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけることで、私腹を肥やすことは許されません。」
「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように。」
『鬼滅の刃』煉獄母と幼き煉獄の会話、そして、再び母の言葉です。
幼少期や両親の思い出を、過度に美化してしまう人がいます。
しかし、現実には完璧な子ども時代等、存在しません。
完璧な親等いませんし、皆、大なり小なり親の言動により傷ついた経験があるはずです。
私の経験上、自分の幼少期や両親について度を越えてポジティブに語る度合いと、その人が実際に受けてきた辛い幼少期や両親への悲しい思いという度合いは、比例します。
「子ども時代は、概ね良かった」程度の感想を持つ位が丁度良いのです。
概ね良い子ども時代を送ってきた人は、全てが順風満帆だったと強調する必要はありません。
両親が子どもに向ける関心には、2種類あります。
1つ目は、相手が上手くいっているかどうかに示す関心です。
この関心は、仕事や結婚をしているかどうか、子どもがいるか等です。
親なら皆、子どもが上手くいっているかどうかに関心があります。
子どもが上手くいっているのなら、自分の事を良い親であると感じる事が出来ます。
2つ目は、自分の子どもの内面への関心です。
子どもを出来るだけ理解しようとし、子どもの独自の性格を理解しようとし、子どもの立場となり、子どもの為に内面に関心を持つのです。
この2種類は、どちらも大切です。
学童期に入ったら子どもも、勉強やスポーツ等で結果を出す事が求められますし、子どもが大人になっていたのなら、仕事で結果を出す事は当然求められますし、パートナーが長期間いない人は、魅力に欠けている事が多いものです。
ただ、そこばかりに関心を寄せるのではなく、時折、子どもの内面にも関心を示す必要があります。
それが出来ないと、子どもは自分で考える事を諦め、両親の考えを自分の考えであるかのように錯覚してしまいます。
大人になり、これまで何も考えてこなかった自分に気付くと、何も行動する事が出来なくなってしまう人が多いものです。
私は、漫画を読んだ時も、映画を観た時も、アニメで観た時にも、上記の煉獄母の言葉が呪いのように感じていました。
映画では隣の人は泣いていましたが、私は「この人は、この言葉に疑問を感じないのかな?」という気持ちがこみ上げてきた事を記憶しています。
使命も大事ですが、その傍らで、使命を担う子どもの内面にも関心を向ける事が大切であると感じます。
そして、これは親と子どもだけではなく、全ての人間関係に通ずる事であると思います。