彼には自己が無さそうで、自己まで客体化され、監視され、運営されていた

 

 …家康という男は、人のあるじというのは自然人格ではなく、一個の機関であるとおもっていたのかもしれない…

 『覇王の家』の一説です。

 

 

 今年は、司馬遼太郎生誕100周年、そして、昨日8月7日は、司馬さんの誕生日でした。

 中学生の頃TSUTAYAにて、司馬さんの本を始めて買って貰った時の記憶があります。

 私は、本屋が大好きです。

 

 図書館は、どこか物足りません。

 無料という事もあり、本を見る人々の目も、そして、これは私が勝手に感じている事ですが、図書館の本には覇気がないと感じています。

 本屋の本からは、売れなければ生き残る事が出来ないという覇気が感じられます。

 

 

 家康の筆頭家老の酒井忠次は、家康の長男信康と折り合いが悪かったと伝えられています。 

 信康は、勇敢ではあるが、家中で粗暴な振る舞いをする事も目立ちました。

 そして、信長も、信康を不快に思っていました。

 

 そのような折、家康の正室である築山殿(大河ドラマにおいては瀬名)が、武田と内通をしているという情報が、信長の元に届きます。

 忠次は、好機とみたのか、徳川を救う為なのか、築山殿の内通、さらには信康もそれに協力をしている事を、信長に伝えました。

 怒り心頭の信長は、築山殿と信康を殺す事を、家康に要求します。

 

 

 あなたが、家康なら、どうするでしょうか?

 愛する家族を選択するか、それとも、徳川家を選択するでしょうか?

 当時の信長は、長篠の戦にて武田に勝利し、名実ともに天下統一に最も近い武将となっていました。

 信長の命令に逆らえば、徳川家は潰されてしまう可能性が高かったです。

 

 

 家康は、決断します。

 愛する家族ではなく、徳川家を。

 その決断の後、信康は自害、築山殿は殺害されます。

 

 当時の世界観は現在とは大きく異なりますが、初めて生まれた子と妻を殺さざるを得なかった家康の心中は、想像に難くありません。

 しかし、その決断のおかげで、徳川家は存続し、後に天下統一を果たし、200年以上続く戦のない世界を構築します。

 

 さらに、家康の興味深い所は、信長とともに、長男と妻を死に追いやった忠次を冷遇しなかった所にあります。

 忠次を処罰すれば信長がどう出てくるかわからないという危機管理の選択かと思われますが、自身を一個人としてではなく、客観的に判断出来る家康らしい選択といえます。

 後年、忠次が息子の事で家康に頼みに来た時「そちも子の愛しい事がわかったか。」と言ったのみでした。

 

 

 …彼には自己が無さそうで、事故まで客体化され、監視され、運営されていた。運営しているのは、虚空にいる抽象的な徳川家康によってである…

 『覇王の家』の一説です。