「侑嫌われとるで。」
「‥で?」
『ハイキュー』宮治と宮侑の会話です。
「小っさい頃から知っとる双子やったけど、侑は時々怖いと思った。他人に・仲間に嫌われるってしんどいやんか。」
尾白アランの宮兄弟に対する言葉です。
10月5日は、宮治、宮侑の宮兄弟の誕生日でした。
今回も、運良くジャンプショップ入店抽選に当選し、欲しいグッズを手に入れる事が出来ました。
当選した猛者達の購入金額を観察していたら、私の前に会計をしていた4人は、全て15,000円以上の会計であり、1人は『僕のヒーローアカデミア』ベストジーニストの名場面ジオラマフィギアを宮兄弟グッズ以外にも購入していましたが、その他の3人は全て宮兄弟のグッズのみの購入でした。
上記の会話からも理解出来るように、宮侑はサイコパス的な資質を持った人物です。アニメでは、宮野真守の声が、侑のサイコパス性を際立たせています。
『ハイキュー』の上手く描いていると思う部分の1つに、レベルが上がればその人の性格等は関係なく、ただバレーボールを通じてコミュニケーションが完成していくという事実が挙げられます。
宮侑も木兎も天童も影山も、中学時代は、バレーボールに真摯に向き合う姿に周りがついていけず、孤立しています。
しかし、レベルの高い人だけが集まる高校に進学する事で、その孤立は解消され、その才能を理解してくれる仲間や指導者に恵まれます。
学力が高い学校でいじめが少ないように、家賃が高い地域で犯罪が少ないように、どのような分野でも実力が上がれば、その実力を軸にコミュニケーションが取られます。日本は、平等主義という洗脳がされている為、反発する人も多いと思いますが、私は実力主義のコミュニケーションの方が、余程平等ではないかと感じます。
「多分、侑の一番恵まれとる点は、体格より色んな能力より、治なんやと思う。どんなに他人が追いつけへんスピードで突っ走ったって、互いが互いに絶対ついてくる。兄弟(それ)に苛立つ事もあるんやろうけど、奴らはきっと競うだけ強くなっていく。」
再び尾白アランの言葉です。
『ハイキュー』は、本人以外が、その人の事を語る場面が多く、その語りが客観性と多少の気遣いという絶妙な風味の中で生まれており、これが作品の魅力を上げてくれています。
多くの人は、人を記号的なキャラクターとしてカテゴライズして記憶し、理解した気になっています。
しかし、実力をベースにしたコミュニケーションの上には、適切な理解が生じる可能性が高いと思います。
「‥今の素晴らしいセットアップに、会場のどれくらいが気付いただろうか。普通ならアンダーでレフトに高く上げる場面。苦しい体勢・状況からでもオーバーを選択し、ブロックをAパスが返った時と同じだけ引きつけて見せる。」
「これこそ宮侑。お調子者であったり、時に勝ち気で、高圧的でありながらも、スパイカーに対して誰より真摯で献身的だ。」
「‥ほんとよくあの体勢から上げるよねぇ。アンダーでいいじゃん。アレは。」
「セッターはセットするんが仕事やで?適切な位置にボールをセッティングするんや。アンダーは腕2本。オーバーは指10本。よりいっぱいのモンで支えたんねん。セッターやもん。」
この場面を読んだ時、侑の言葉とともに、それを理解してくれる指導者達の存在に嬉しさを感じるとともに、嫉妬のような気持ちにもなり、涙が零れそうになった事を今でも覚えています。