「思うことは自由だけど‥決めつけるのは早いんじゃない?」
「ちゃんと話して、ちゃんと見て、感じようとしなきゃ、その人のことわかりっこないでしょ?」
『WIND BREAKER』ことはの言葉です。
2022年文部科学省が実施した調査によると、通常の学級に在籍する小学生の10,4%に「発達障害」の可能性がある事が発表されています。
これに加え、通常の学級に所属しながら、発達障害の子を対象に、困難な授業や放課後等に特別なクラスに移動をし、1対1若しくは小集団による支援を受けている子どもが、18万人います。
「発達障害」は、3つに分類されます。
①自閉症(ASD)
②注意欠如多動症(ADHD)
③学習障害(LD)
①自閉症には、2つの特性があります。
a:対人関係やコミュニケーションが苦手
b:限定的で反復的な行動や興味
aにおいては、相手の言葉に反応するものの、表情や目線等の非言語的コミュニケーションから相手の真意を読み取る事が出来ず、その場に即した言動を取る事が出来ない等がみられます。
bにおいては、外出時の目的地までの道順や物の配置場所等、特定の対象へのこだわり、反復的で機械的な動きをする等がみられます。
これらに加え、言葉の発達の遅れが伴う事も、自閉症の特徴です。
②ADHDには、2つの特徴があります。
a:多動・多弁
b:衝動
c:不注意
aにおいては、座ったままじっとしている事が出来なかったり、順番を待つ事が出来なかったり、過度に話し過ぎる等がみられます。
bにおいては、思いついた事をすぐに口に出してしまったり、他人の物を勝手に使ったり、突然大声を出す等がみられます。
cにおいては、忘れ物が多い、常に課題等を提出しない、学校や会社等で不注意が原因のトラブルを頻発させる等が挙げられます。
③学習障害は、知能の遅れはないものの、読む・書く・計算する等の学習が、極端に苦手・出来ない等の特性があります。
これら3つの「発達障害」の特性は、複雑に重なり合って、症状が併発している事が一般的です。
大学生の時「子どもに障害があったら、育てるか?」等を議論した記憶があります。
その時「育てない」という選択をしたのが私だけであり、ギャグも含め、差別である等と批判をされた経験があります。
しかし、私はこの問題提起自体がおかしいと主張をしました。
私は、小学生・中学生と障害を持った同級生の面倒を見る役割をし、大学生の時には身体障害・知的障害・発達障害の子どもを対象にしたアルバイトをする等して、障害のある子ども、そして、その親も数多く見てきました。
これに対し、他の大学生と教師は、障害者と関わった経験が皆無でした。
経験がない人が出来るのは想像であり、その想像は社会常識の枠を出ません。
そうなると「障害があっても、自分の子であれば、愛情を持って育てる」等という無難で聞こえの良い答えにならざるを得ません。
では、子どもを産む時に、誰もが願う「健康な子で生まれてきますように」という願いは、どうでしょうか?
健康な子とは、病気等でないというのは勿論、障害がないという事も含まれているのではないでしょうか?
どの親も、自分の子どもに、障害等を持たずに生まれ、育ってほしいと願います。
この願いは、差別でしょうか?
批判を恐れずに言えば、小学生に上がるような年齢になっても「ママ」とも言えず、大人になっても他者と長期的な関係を築く事が出来ず親と一緒に暮らす以外の選択肢がない将来ではなく、1歳頃には「ママ」と満面の笑顔を見せ、大人になったら他者と長期的な関係を築き親の元を巣立ち自分の人生を生きていけるようになってほしいと願うのではないでしょうか?
アメリカの研究においては、自閉症の人が結婚出来る可能性は、10%以下であるとされています。
最早、国の課題にもなってきている「発達障害」
まずは、綺麗事しか言えない環境を、変える必要があると思っています。