「研磨は、試合の勝敗に然程興味がない。だから、その言葉は熱を持たない。可能か、不可能かの分析だけ。その研磨が可であると言った。この状況では、どんな励ましの言葉よりも頼もしいだろうな。」
『ハイキュー』絶体絶命のピンチに思われた中の研磨の「ダイジョウブなんじゃない?」という言葉に対する猫又監督の脳内言葉です。
心理学において、自身と向き合う考え方の1つにACTがあります。
ACTでは、自身を思考する自己と観察する自己に分けて、考えます。
認知行動療法やポジティブシンキング等、ほとんどの心理学的アプローチは、思考する自己に焦点をあて、思考する自己のコントロールの仕方を変えるようにしていきます。
しかし、何か嫌な事があった時に怒りの感情が出てくるのは自然な事です。つまり、思考する自己の手綱を握る事はとても困難です。
一方、観察する自己は、何かに気づきはしますが、その気づきに対し、思考する事をしません。
観察する自己とは、集中、注目、気づき等を意味します。
それは思考に注意を向け、観察する事はしますが、思考を生み出す事はしません。
思考する自己が私達の経験について、あれこれ考えるのに対して、観察する自己はあなたの経験した事を記録するだけです。
たとえば、テニスをしているとします。
あなたは完全に集中し、こちらに飛んでくるボールに釘付けになっています。
この時、働いているのが観察する自己です。
あなたは、ボールについて考えてはおらず、観察しているだけのはずです。
ここで「ラケットの握りは、これで良かっただろうか?」等と思考する自己が顔を出したら、どうでしょうか?
思考する自己は、集中を阻害します。
観察する自己が、これらの思考に過剰な注意を向けると、ボールへの集中はおろそかになり、あなたのパフォーマンスは低下します。
仕事に集中しようとしていて「失敗したら、どうしよう。」等という思考に邪魔された事が、誰もがあるのではないでしょうか。
思考する自己だけではなく、思考する自己と観察する自己の2つの自己を持つ事で、あなたの能力は2倍に跳ね上がります。