才能は開花させるもの。センスは磨くもの3

 

 「俺は、バレーを続けるか迷ったりして、相談に行った。でも、迷ってるなんてポーズだって、すぐ見抜かれた。」

 

 「自分の力の上限をもう悟ったって言うのか?技も身体も精神も、何ひとつ出来上がっていないのに?」

 「自分より優れた何かを持っている人間は、生まれた時点で自分とは違い、それを覆す事など、どんな努力・工夫・仲間をもってしても不可能だと嘆くのは、全ての正しい努力をしてからで遅くない。ただ、自分の力はこんなものではないと信じて只管まっすぐに道を進んでいく事は、自分は天才とは違うからと嘆き諦める事より、辛く苦しい道であるかもしれないけれど。」

 

 「俺は、この人から学ぶって決めた。そしたら翌年から、アルゼンチンに戻っちゃってね。まあ海外には絶対挑戦する事になるし、それがちょっと早くなっただけ。行きたい舞台(ばしょ)は、どうせ変わらない。」

 『ハイキュー』及川徹とホセ・ブランコ、そして再び及川徹の言葉です。

 

 

 今川義元の嫡男・今川氏真は、今川家を滅亡させた暗君として語られる事の多い人物です。

 『どうする家康』を始めとした物語でも、家康を引き立たせる為に、氏真を闇落ちさせているような部分が目立ちます。

 

 しかし、氏真は本当に能力のない武将だったのでしょうか?

 私には、運のない武将であったように映ります。

 

 父・今川義元が、桶狭間にて信長に大敗した時、氏真は22歳でした。

 当時の22歳といえば立派な大人ですが、氏真は義元の指示により、桶狭間にも参加していませんし、これまで戦により武功を上げる機会もありませんでした。

 天から才を得なかったと嫡男を判断した義元が、長期的に努力が実るように、敢えて戦に参加させてこなかった事が、22歳にして突然今川家の当主となった氏真に裏目に出ます。

 

 ただ、これは氏真に限った話ではありません。

 織田も、武田も、豊臣も、徳川を除いたどの武家も、最も輝かしい時代を誇った次の代に滅んでいます。

 

 家康に裏切られ、義元の時から従っていた家臣もほとんどが武田に寝返り、武田と徳川から挟み撃ちとなり絶体絶命の氏真。

 駿河の国は落ちますが、氏真は生き延びます。

 正室が北条の娘であった事から、北条から救いの手が差し伸べられますが、氏真は頑なに戦いから逃げる事を拒みます。

 

 兄弟のように育った家康や、家族のように慕っていた家臣達に裏切られ、氏真は冷静な判断が出来なくなっていたのでしょうか?

 しかし、ここで氏真は家康に対し、圧倒的劣勢の中、掛川城を拠り所として6ヵ月もの間、家康と互角の戦いを繰り広げます。

 天からの才はなかったものの、懸命に努力を重ねてきた氏真。

 必要なのは、覚悟だったのかもしれません。

 氏真1人の力で圧倒的劣勢の中、6カ月もの間戦い続ける事は不可能です。

 数少ない氏真に付いて来た家臣達も、氏真の覚悟に心動かされ、躍動した事は間違いありません。

 

 掛川城にて戦い抜いた氏真は、命を落とす若しくは自ら命を絶つのかと思いきや、生き延びます。

 正室の親である北条に、匿って貰うのです。

 その後、家康とも和睦をし、信玄と敵対する家康と北条とのパイプ役となりました。

 

 兄弟のように育った氏真と家康。

 2人の関係性は、後の人生にまで続きます。

 家康が江戸幕府を開き、天下を手中にしていた頃、氏真はよく家康の元を訪れ、昔話を延々と繰り返していました。

 「早く帰れ」と言えない家康は、氏真の為に立派な屋敷を品川に与えました。

 

 「己を鍛え上げる事を惜しまぬのなら、いずれ必ず天賦の才ある者を凌ぐ。」

 今川義元の言葉です。

 

 氏真は、和歌等に通じ、文化人としての評判も高く、公家等と交流をする等、53歳から生活をしていた京においても存在感を持ちます。

 磨き上げたセンスが、才能として開花する時期は、いつになるかわかりません。

 1つ確かな事は、磨き上げなければ、才能として開花する事はないという事だけです。