真田昌幸といえば、真田幸村の父として有名です。
しかし、昌幸の功績を振り返ると、幸村以上の武将と言えるかもしれません。
武田信玄に「自分の両目のような武将」と評価され、2度徳川の大群相手に勝ちを納めました。
私はその功績は、後の日本史にも大きな影響を与えたと思います。
たとえば、関ケ原にて徳川方は勝利を収めます。
しかし、西国は、豊臣恩顧の武将に領土を渡すことしかできませんでした。純粋な徳川の武将は、西国に1人もいません。
関ケ原以後、徳川の日本にしようという家康の思惑は、実現できませんでした。
この原因を作ったのが、昌幸です。
昌幸は、関ケ原と同時刻、徳川の主力と対峙し、勝利を収めます。
これにより、関ケ原において徳川方は、豊臣恩顧の武将達に頼らざるを得ませんでした。
そして、その200年後、この外様大名の長州・薩摩等により、徳川幕府は滅ばされ、新しい時代「明治」を迎えます。
もしかしたら、幕末の混乱を作る火種となったのは、昌幸の関ケ原なのかもしれません。