最大多数の最大幸福の為に、少数の人の幸福を捨ててもいいのか

 小学生の時「子どもと大人どちらがいいか?」という質問に対し、クラスの中で私だけ大人に手を挙げました。

 民主主義の基本は多数決であると考えている人が多く、日本では学校から会社、国会においてまで、多数決において何かを決めようとします。

 現在では少しずつ少数の考えが時代を作ってきたことが認識されてきていますが、小学生の時に多数の圧に晒される経験は、中々きついものであり、それ以降は波風立てないように生きていこうと合理的に考えるようになることも頷けます。

 「多数決。間違ったことでも真実にしてしまえる唯一の方法。幸せではなく、示し合わせを追及する、積み木細工の方式。僕達の不等式ーー僕達の不当式。人類が本当の意味で発明したと言えるのは、これくらいのものだろう。そして、これは人類史上最も醜い式である。」

 『終物語』阿良々木暦の言葉です。

 私が多数決に抱いていた疑問を、見事に表現してくれています。

 最大多数の最大幸福の為に、少数の人の幸福を捨ててもいいのでしょうか?