戊辰戦争敵前逃亡により、徳川慶喜は愚将として評価されています。
しかし、現代となり慶喜の政治力が評価されています。
代々の徳川将軍の中でも慶喜程主観的に政治を動かした将軍はいなかったでしょう。
その慶喜が何故旧幕府軍攻勢の中、戊辰戦争にて家臣を置き去りにし逃亡したのでしょうか。
慶喜は饒舌な人物でしたが、敵前逃亡以後多くを語らなくなりました。
そんな慶喜が晩年息子に対し、「あの時はああするしかなかった。あれが1番良かったんだ。」と語りました。
日本史を俯瞰した場合、慶喜の行動により日本は救われたように見えます。
慶喜が戦わない道を決断したことにより、戊辰戦争の死者数は8,400人と最小限に抑えることができました。
アメリカの南北戦争の死者数が650,000人であることと比較すると、同じ革命戦争として戊辰戦争の死者数の少なさは際立ちます。
また、首都とする東京もほぼ無傷の状態を保つことができました。
これにより、日本は国力を落とすことなく明治維新に進むことができました。
その結果、日本はイギリスやフランス等から植民地とされることもありませんでした。
日本史を俯瞰した場合、慶喜程日本に貢献をした人物はいないのではないでしょうか。