柳緑花紅

 

 「聞いたよ。頑張って勉強して学年一位になって、今は家庭教師してるんだってね。凄いよ。どんな生徒さんなの?教えてよ。」

 

 「信じてもらえるかわからないんだが、教えているのは同級生の五つ子で‥そいつらが困ったことに馬鹿ばかりなんだ。」

 「長女は、夢追い馬鹿。どうせ叶いっこないと言ってはいるんだが、ま根気だけはあるみたいだな。だが馬鹿だ。」

 「次女は、身内馬鹿。こいつは姉妹贔屓で、すぐ噛みついてくる。‥だけかと思ってたが、今はよくわからない。だが馬鹿だ。」

 「三女は、卑屈馬鹿。初めは暗くて、覇気のない顔をしてたんだが、近頃は見るたび生き生きしていて安心している。だが馬鹿だ。」

 「四女は、脳筋馬鹿。やる気もあって頼りになるが、一番の悩みの種だ。それに‥いや俺の思い過ごしか‥だが馬鹿だ。」

 「五女は、真面目馬鹿。こいつとは、まず相性が悪い。だが本当はやれる奴だ。このままじゃもったいない。だが馬鹿だ。」

 「とまあ、こんなところだが。?どうした?」

 

 「ううん。なんでもないよ。でも、そうだなぁ。びっくりした。真剣に向き合ってるんだね。きっと君は、もう必要とされる人になれてるよ。」

 『五等分の花嫁』零奈とフータローの言葉です。

 

 

 春風に揺れる柳の緑。エネルギーを放つかのように咲く花の紅色。

 「柳緑 花紅」(やなぎはみどり はなはくれない)は、美しい景色をそのまま写し取った禅語です。

 柳も花も、自然のまま、そこに存在しているだけで、美しいものです。

 それぞれが、それぞれのかけがえのない命を、全うしているからこそ美しいという意味を、この禅語はシンプルな言葉で伝えてくれます。

 

 人にも、それぞれ個性があり、価値観も千差万別です。

 その違いを否定したり、拒絶したり、アドバイスをするのではなく、認め合う事から、良い人間関係は始まっていきます。

 思いの他、ありのままの姿を受け止める事は、簡単ではありません。

 

 相手を柳に例えたら、自分は花の紅です。

 柳を紅に変えようとする事等、出来るはずがありません。

 「理解してほしい。」と相手を変えようとすることは、柳を紅に変えようとするようなものです。

 お互いがお互いを、そのままの形で認め合い、尊重し合う事が大切です。

 もちろん、その相手はあなたが時間を共にしたいと感じる人だけで十分です。

 

 五つ子にも、それぞれ個性があるように、人にはそれぞれ個性や価値観が千差万別に存在します。

 ついその個性や価値観を否定したり、拒絶したり、アドバイスをしようとしてしまいますが、それは柳を紅に変えるようなものなのかもしれません。

 柳は柳のまま、花は花のまま、存在しているからこそ美しいのです。