先日、桜田門外の変の現場である桜田門に行ってきました。
有楽町線の桜田門駅を降り、階段を昇るとすぐに桜田門があります。
桜田門外の変において殺害されたのは大老井伊直弼です。
慶喜以外の徳川将軍は、「よきにはからえ。」というような姿勢であったため、実質徳川幕府を動かしていたのは老中でした。
井伊暗殺の背景は2つあります。
1つは、吉田松陰、橋本佐内等有能な志士達を処刑した安政の大獄です。
これにより、長州を始めとする各藩が幕府を敵とみなします。
もう1つは、日米修好通商条約承認です。
あまり知られていませんが、井伊は開国派でした。
その影響もあり、日米修好通商条約を天皇の許可なく、条約を承認します。
これが尊王攘夷にて天皇を神のように扱う若き志士達の怒りを買います。
井伊は徳川幕府を守るためには、外国と協力する必要があると判断しました。
その意味では、当時としては先進的な考えを持っていました。
桜田門外の変から日本は一気に明治維新に向けて走り始めます。
明治維新を成すには、共通の敵が必要でした。敵となることで井伊は、日本近代化に貢献したとも捉えることもできます。
井伊が行なった安政の大獄、そして桜田門外の変、幕末明治維新を振り返ると必要な出来事であったようにも感じることができます。