正しい選択をするんじゃなくて、選んだ道を正解にするんだ。だからさ‥選んだ先がバラバラになっても、次逢う時は進化してんのが礼儀

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」

 『平家物語』の冒頭です。

 

 メッシとロナウドが2シーズン連続で、ベスト16の段階でチャンピオンズリーグから姿を消しました。

 メッシ156試合出場127得点、ロナウド184試合出場141得点とチャンピオンズリーグに最も愛された2人が、2シーズン連続で早々に姿を消すという出来事から、時代の変化を感じます。

 それでも、今シーズンもメッシ7試合出場7得点、ロナウド8試合出場6得点とスタッツだけを見れば、世界最高に相応しい結果を出しています。

 しかし、フットボールは進化し、得点以上に90分を通じてのチームへの貢献が求められるようになってきています。

 また、1人の選手が守備・ボールを運ぶ・より大きなチャンスを作る為自分にボールが来なくても走る・相手を崩す・味方の呼吸を整える・フィニッシャーにもなる等、5~6もの役割を担うのが当たり前となり、得点を取るだけの選手の価値は年々下がってきています。

 

 マドリーVSパリの試合が名試合であったと言われていますが、個人的には試合のレベルとしては、高くなかったと感じています。

 もちろん、リヨンに所属していた10代の頃から見てきた私と同い年のベンゼマ少年が、マドリーのカピタンにまで成長し、大舞台で結果を出した姿には歓喜しましたが、それと試合のクオリティとは別の話です。

 リヴァプールVSインテルの方が、戦術面・2試合を通じてのカードの切り方等、余程フットボールの未来を感じさせてくれました。

 

 「迷ってんの潔?俺は決めたよ。ドリブルとテクニックの国スペインに♪」

 「やっぱそうだと思った。お前らしいじゃん。」

 「ま正直どこでも一緒だけどねー。」

 「え何で?」

 「だって世界一のストライカーになるんでしょ?どんな環境に身を置いても、そこで一番になり続けるコトしか意味ないじゃん。正しい選択をするんじゃなくて、選んだ道を正解にするんだ。これが世界一の極意なり♪んで最後に信じるのは理屈じゃなくて直感。だからさ‥選んだ先がバラバラになっても、次逢う時は進化してんのが礼儀♪ね。」

 「おう。」

 『ブルーロック』蜂楽と潔の会話です。

 

 現代の監督に求められるのは、結果以上にチームや選手を次のフェーズに引き上げる能力です。

 ペップはシティに結果を求めているのではなく、伝統を作ろうとしているように私には映ります。

 メッシ、ロナウドとともに、イタリアの貴婦人ユーべもベスト16で姿を消しました。

 個人的にはセリエA贔屓の為、イタリアのチームが全て姿を消してしまったのは残念ですが、それも笑いになる所がイタリアの魅力です。

 

 ラビオも、アルトゥールも、クルゼフスキーも、世界的なクラックとなる前に獲得する等、ユーベのスカウト陣の見る目は評価出来ます。

 しかし、ラビオはパリ、アルトゥールはバルサ、クルゼフスキーはパルマにいた時の方が、高いレベルでプレイする事が出来ていました。

 もちろん、ピルロの時代から現在のアレッグリまで続いてる4-4-2というフォーメーションが彼らを苦しめている部分もありますが、それも含めユーベというチームや監督が、彼らを次のフェーズに引き上げる事が出来ていない事も事実です。

 これに対して、ユーベを破ったビジャレアルは、スパーズで居場所を失っていたオーリエやロチェルソ、リヴァプールで居場所を失っていたモレノ等に再び輝くチャンスを与え、彼らもその期待に応えているように映りました。

 

 人は正しい選択をする事ばかりに意識を向けてしまいます。

 しかし、誰も未来はわからないのだから、その選択が正しいかどうか等、選択をする時点において、誰にもわかりません。

 蜂楽の言うように出来る事は、選んだ道を正解にする事です。

 

 メッシのパリ移籍、ロナウドのユナイテッド帰還が間違いであったのではないかという声をよく聞きます。

 しかし、世界一の2人が34歳と37歳になっても挑戦をし続ける姿に私は心動かされます。

 2人が今後、どのようにして選んだ道を正解にしていくのか見届ける義務があると勝手に感じています。