武力ではなく、文化で統べる
戦国史を見ていて、不思議に感じることの1つに、戦において城が活かされていないことが挙げられます。
歴史を変えるような戦において、城が出てくるのは、小田原攻めと大阪の陣だけです。
しかも、その2つの戦は、北条、豊臣が滅んだ戦です。つまり、城を戦いの舞台にした方が、敗戦をしています。
姫路城、松本城、犬山城等は、現在も観光名所となっていますが、これらの城が歴史上果たした役割は、ほとんどありません。
『麒麟がくる』の中でも斎藤道三、織田信長に重宝された岐阜城も、あんなにも高い位置にあり、一見攻めるのは難しそうに見えても、4度も落城されています。
では、何故武将達は、競うように城を建築したのでしょうか。
それは、豪華な城を作り、文化で圧倒し、相手に適わないと思わせることが、最もコストパフォーマンス良く、自らの領土を守ることが出来るからです。
戦には、とにかくお金が掛かります。さらに、お金を生み出す人の命も奪われます。
戦と比較すれば、城の建築等、安いものです。
「武力ではなく、文化で統べる。」戦国時代から、現在にも通ずる教訓を学ぶことが出来ます。