毛利の関ケ原
関ケ原において、毛利の動きが勝敗の鍵を握っていました。
毛利軍は、徳川軍と隣接した山に陣を置きました。
そして、徳川軍が蛇のように縦1列となり、西軍に向けて進行をしていく時、毛利軍は数百メートルの近くにいました。
ここを攻撃すれば、徳川軍に壊滅的な打撃を与えることができたでしょう。
しかし、毛利は動きませんでした。
毛利は、家康からの所領安堵という言葉を信じ、動かなかったのです。
結果的に、家康率いる東軍が関ケ原において、勝利します。
しかし、毛利が信じた約束を、家康は実行せず、中国5カ国を治めていた毛利は、2カ国に所領縮小をされてしまいました。
毛利が、動いていれば、関ケ原の勝敗は変化し、日本史も大きく変化していたかもしれません。
毛利が天下を獲ることができた一瞬は、徳川が蛇のように1列となり、進軍している時でした。
成功する為には、チャンスを見極め、そこに飛び込むことができる行動力が、必要となる時があります。
その決断力と行動力を持つことができる人が、成功することができることを毛利の関ケ原から学ぶことができます。