江戸の花街吉原

 東京程、観る場所が多い都市はないように思います。
 江戸城を巡り幕府の面影を辿ることも1つ、華やかな建造物に将軍家の威光を感じるのも1つ、文明開化発症の地を巡ることも1つ、庶民文化が花開いた娯楽溢れる下町を歩くのも1つ、幕末維新の志士達の活躍の舞台を巡るのも1つ、楽しみ方は多様にあります。
 たとえば、江戸の花街吉原は、現在も日本一の花街として現存しています。
 1618年、江戸の私娼を1カ所に集めた吉原が開業しました。
 最初は日本橋に設けられ、昼のみの営業でした。
 1657年の大火で全焼し、現在の吉原に移転しました。
 しかし、移転地は周りが田んぼしかない辺鄙な場所でした。
 そのため、幕府は代償として夜の営業を許可しました。
 これにより、町人の客が飛躍的に増えます。武士には、夜在宅する義務があったからです。
 そこで町人文化が花咲き、一大流行都市に進化をしていきます。
 やがて大名や豪商まで訪れるようになり、遊女も太夫・格子・端と3ランクに分けられるようになります。
 太夫は、一流の文化人を相手にするだけの品格・教養・芸事への精進が求められ、庶民の手の届かない存在として輝きました。
 庶民が見つけ育てた文化に、大名や豪商等が後から参加するようになった最初の文化が吉原なのかもしれません。