知りたいことのおおよそ半分はネットや本で調べらればわかることだ。どこにも載っていないもう半分を知るためには、自分で考えだすか、経験するしかない

 

 「試衛館の門を叩いたのも同時期だったな。一緒に馬鹿をやった。無類の剣術好きで、放浪好きで、女好き。俺たちは似ていた。」

 「土方さんのアダ名も茨のような乱暴なガキでバラガキですものね。だっせえ…。」

 「あ?我武者羅な新八でガムシンよりは格好いいだろ。お前は気性が荒くて馬鹿だが…剣筋だけは美しかった。美しい物は、残すべきだ。」

 

 「あの時、喧嘩別れとなったのは、俺を怒らせる事で死地へと同行させまいとしたのではないか…そう自問自答する夜を多く過ごしました。あれはアンタ達の最後の思いやりではなかったかと…違いますか?土方さん。」

 「いや…お前がバカで嫌いだっただけだよ。」

 『ゴールデンカムイ』土方歳三と永倉新八の会話です。

 

 

 106mの高さのある五稜郭タワーに登ると、星型の五稜郭は勿論、函館山、津軽海峡まで、函館の街、そして地形を一望する事が出来ます。

 大阪城然り、関ケ原然り、歴史のある戦場に赴いた時には、自分だったらどのように戦うのかを想像する時間が、至福の時間となります。

 京都から大阪、江戸、会津と敗戦を重ねた幕府軍ですが、新政府軍に対し、圧倒的に勝っている武器がありました。

 それは、戦艦です。

 

 五稜郭タワーから一望するとわかりますが、津軽海峡を経て函館に入る港は、東京湾や駿河湾のように入り込んだ形となっています。

 しかも、東京湾や駿河湾よりも小さな湾です。

 その為、敵の戦艦を引き付けて、砲弾により船に攻撃する事が容易な地形なのです。そして、北海道は本州と陸で繋がっていない為、当時は海を渡るしか北海道に来る方法はありませんでした。

 土方も榎本もここに勝機を見出し、函館を決戦の地に選んだ事でしょう。

 しかし、頼みの戦艦は挫傷してしまい、また予想よりも多くの人も戦艦も集まりませんでした。

 時代の流れが、新しい時代に味方したのでしょうか。

 

 

 …おれは函館へゆく。おそらく再び五稜郭には帰るまい。世に生き飽きた者だけはついて来い…

 『燃えよ剣』土方の最期の姿です。

 

 五稜郭から函館までは、市電で15分、距離にして3㎞程です。

 この僅かな距離の間で、国内最後の戦いが、繰り広げられていたと思うと、驚きです。

 そのような歴史的背景があってか、私は、函館駅周辺よりも、五稜郭周辺の方が、過ごしやすく感じていました。

 

 

 地形を俯瞰したり、実際に五稜郭から函館までの距離を感じる等は、実際に、足を運んでみなければわかりません。

 その経験や知見は、生涯の宝となります。

 少しでも興味のある事があったら、実際に行ってみる事をお勧めします。

 その時だけを観ると、時間とお金が掛かりますが、人生という長い物語で観た時には、その経験は人生を豊かにしてくれる事を約束します。