「これから皆さんは、社会というシステムの一部を担っていきます。そのシステムに巻き込まれ、疲弊することがあるかもしれません。」
「その時は、立ち止まってみてください。思い出してみてください。この大学生活を。」
「社会のためじゃない、自分のために行った創造は、あなたを苦しめたでしょう。そういった活動は、誰でも自分自身を曝け出さなくてはいけない瞬間があるからです。」
「自分の声を聞き、自分の一部を見つける。私は、それを創造する者にだけ与えられた特別な力だと思っています。映画を撮りたい、創作したいという欲求。それは、社会のシステムには属せず、私が私であることの代えがたい証明になります。」
…きっとそれは、この大きな海を進む強さとなる…
『海を走るエンドロール』学長の式辞と、海子の脳内言葉です。
情熱も、興味も、目標も、一発では人生に入ってきません。
あなたが、現在行っている仕事に至るまでの道のりを、一言で表現する事が出来るでしょうか?
きっと、出来ないと思います。
誰か1人との出逢いだけのはずもなく、偶然声を掛けられただけのはずもなく、子どもの頃からの憧れだけのはずもありません。
この点において、漫画やアニメ、著名人へのインタビュー等は、参考になりません。
彼ら彼女らの説明は、それまでの道のりを、劇的な事の様に、或るいは自分をそう見せようというプロデュースにより、一言にまとめられています。
否、平成終期からの漫画やアニメにおいては、この道のりを、丁寧に描いてくれる作品も、多くなりました。
「他の仕事をしている自分等、想像が出来ない。」
上記のような言葉を、鵜呑みにしてはいけません。
本当に好きな仕事に打ち込んでいる人を見ると、羨ましく思ってしまうかもしれません。
そして、そもそもそういう人は、子どもの頃から自分とは違うのだ等と思ってしまうかもしれません。
しかし、そのような事を感じる必要はありません。
上記のような人も、多くの場合、情熱を掛けるような仕事に出逢うまでには、かなりの時間が掛かっています。
大人は、子どもに「将来何になりたい?」等と、よく質問をします。
しかし、子どもにとっては、大人になって何になりたい等、ぼんやりし過ぎていて、わからないものです。
数千名を対象に行った研究によると、特定の職業への興味の有る無しすらも、中学生になり、ぼんやりとしてくる程度でした。
中学生では、将来何をしたいのか等、わからないものです。
ようやく、自分の好き嫌いがわかり始めるようになったばかりなのです。
そして、興味は内省により発見するものではありません。
興味は、外の世界との交流により、生まれるものです。
この点において、私は、大学生活には大きな意味があると思います。
私は、殆どの大学生が勉強に意欲がなく、否、人生に対しても特に何かを考えているわけではない事に失望した経験がありますが、しかし、現在においては、大学生とはそういう時間なのかもしれないと考えるようになってきています。
大学生は、時間があります。
そして、その時間を、自分自身で設計する事が出来るようになります。
時間が出来、自由が生まれる事で、人は初めて、自分自身と向き合う事が出来るようになります。
様々なバイトを経験し、毎日の献立を自分で考え自炊をし、自分の経済状態と向き合い、知らない場所に旅行に行く。
その道のりの中で、逃げる事なく、自分自身と向き合ってきた時間は、その後の人生において、大きな意味を持ちます。
興味を持てるものに出逢うまでの道のりは、すんなりとは行きません。
回り道が多く、運の要素も、大きいです。
だからこそ、どんな事に、興味を持つのか・持たないのかは、自分自身にもわからない事が多いのです。
そのような中で、無理矢理何かに興味を持とうとしても、それは上手くいきません。
また、興味を持ったとしても、実際にチャレンジするまでは、その興味が長く続くものかどうかもわかりません。
自分自身が、興味を持っている事に、気付いていない場合もあります。
「いつの間にか、興味を持っていた」というケースも、あるのです。
退屈な事は、誰もがよく理解出来ますが、何か新しい事に関心を持ち始めても、自分自身では、殆ど気付いていない事もあります。
だから、新しい事にチャレンジしたばかりなのに「一生打ち込めるだろうか?」等と、考える必要はありません。
最後に、強い興味を、持ち続けるには、親・教師・仲間等、周囲の励ましや応援が必要です。
その理由は、2つあります。
1つ目は、飽くなき興味を持ち続けるには、親等が、その興味の持続に必要な刺激や情報を与える必要があるからです。
2つ目は、親からの肯定的なフィードバックを貰える事が、何よりも嬉しいからです。
親から肯定的なフィードバックが貰えれば、子どもは、嬉しくなり、自信が湧き、さらに興味を拡げる、若しくは深めていく事が出来ます。