「神に祈れ。青海の剣士。」
「バァカ。おれは一生、神には祈らねェ。」
『ONEPIECE』オームとゾロの会話です。
私は、宗教を宗教と一括りにする事が、宗教間の争いを生んでいるのではないかと考えています。
レバント系の宗教とインド系の宗教と中国系の宗教では、その目的自体が全く異なります。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教等のレバント系の宗教は、全て1つの関連性を説いている宗教です。
それは、自分の外にある「神様」というより崇高な力との関係性を目的としている所です。
その為、その中心的な行動は「祈り」となります。
インド系の宗教には、救ってくれる神等、存在しません。
お釈迦様に祈った所で、どうにもなりません。
インド宗教が説いているのは、自分自身との関係性です。
到来した順番は、ヨガ・ヒンズー教・仏教になっていますが、いずれも真我を発見する事を目的としています。
その為、その中心的な行動は「瞑想」となります。
中国系の宗教が説いているのは、神様との関係性でもなく、自分との関係性でもありません。
社会との関係性を説いています。
主君に対して、親に対して、先祖に対して、自分はどの立ち位置にいて、どのような責任を持っているのかを説明しています。
従って、祈らないし、瞑想もしません。
その中心的な行動は「奉公」です。
親孝行も、その1つです。
これら全く考えが異なるものを、まとめて宗教と呼んでいるから、たくさんの問題が生じるというのが私の仮説です。