「牙頭猛晴(がとうたけはる)くんだよね?」
「不躾で悪いんだけど、君はどうして皆に嫌われてるんだ?」
「ああ?んだテメェは?」
「2-C、漆原伊月(うるしばらいつき)だ。」
「んなこたぁ知ってんだよ。ガリ勉野郎!!いきなり何の用だっつー意味だ!!」
「妙な噂を聞いたんだ。僕は、今ウチの学校の首席なんだけど、もし君が本気で試験を受けたら、僕でも適わないと皆が言ってる。」
「だからなんだっつーんだ?まさか、紙ペラのテストで勝負しろって?」
「いやいや、それは違うよ。それ一つもらってもいいか?」
「マジで何の用なんだよ。テメーは!?」
「気になったんだよ。皆が認める天才が、なんで皆に嫌われてるのか。」
「んなモン、オレが知るか!教室でアンケートでも‥。」
「他人が、怠け者に見えるか?将来とか言って、選択を先延ばしにして、何も積み上げていないって。」
「‥なんで、そう思う?」
「PCの画面が見えた。投資をやってるだろ?君は、今、この瞬間も、何かのために行動している。」
「そりゃみんな嫌がるよ。自分がバカに思える。」

『ジャンケットバンク』伊月と牙頭の、高校時代の回想です。
♦ハーバード大学のAO入試は、パーティーをやりたい相手を探す
私は、国を変える効果が最もあるのは「教育」であると考えています。
御存知のように、過去30年程度で日本のGDPは世界2位から世界4位に転落し、物価は2倍以上・社会保険料は1,5倍以上になっているにも関わらず給料は上がらない状態が続いています。
私は「少子高齢化」がこの原因にあると考えていましたが、日本を抜き世界3位のGDPとなったドイツは、日本より人口が少ない為、日本の低迷を「少子高齢化」だけの所為にする事は出来ない状態にあります。
昭和の時代から殆ど変わらない「教育」を学校において、行い続けている日本。
その教育を受け続けてきた人達が、大人になり作り上げた結果が、現在の低迷する日本であるなら、変えるべきは「教育」にあるのではないでしょうか?
「‥川の向こうに行きてぇと思ったら、やらなきゃなんねぇことは、山程ある。泳いでもいいし、船を造ってもいいし、橋をかけてもいいはずなのに、バカ共は、泣き言と文句ばかり抜かして、何もしない。」
「ウンザリなんだ。望みが叶わない理由を、並べる奴らに。」
「そういうのが嫌われる原因だな。意識高スギ。」
「色々うるせーな。このヤロウ!!」
「それで?なんで金を稼いでる?やりたいことでも?」
「‥レストランをやる。金稼ぎとしちゃ、効率ワリ―けどな。ガキも、老人も、バカも、貧乏人も、気に食わねぇ奴以外には、とびきり美味いメシを出す店だ。」
「国中埋め尽くしてやる。嫌われ者のオレの店でな。」

『ジャンケットバンク』牙頭と伊月の高校時代の回想です。
「お子さんに何故中学受験をさせるんですか?」
「周りのご家庭が、皆やっているから。」
中学受験を子どもにさせる親に、上記の質問をすると、殆どの場合で上記のような返答が返ってきます。
これは、中学受験に限りません。
多くの日本人は、自分の意志で、子どもに受験させるのかを決めるのではなく、周りがやっているからという理由で、子どもに受験をさせる事を決めているのです。
私は、就活生を見ていると、気持ち悪くなります。
恐らく当の就活生も、腹の底では「新卒一括採用なんて意味不明」等と思っているのではないでしょうか?
しかし、周りの同級生が就活を始めると不安になり、皆と同じエントリーシートを書き、皆と同じリクルートスーツを着て、就活に向けて、特に何もしていなかった大学時代を着飾ってアピールし始めます。
♦自分で考えて行動をしないと、失敗も、仮説と検証も出来ない
自分の未来を、他人に任せていては、その行動から、何も得る事が出来ません。
失敗という貴重な経験も、仮説を立てるという貴重な経験も、仮説を検証するという貴重な経験も、自分で考えて行動をしないと得る事が出来ません。
このように、自分の未来を他人に任せる人を大量生産しているのが、現在の日本の教育であると、私は考えています。
「人間は、無知故に夢を抱き、大人になったと言って、それを忘れる。」
「そんなモノを成長と呼ぶから、生きるだけで苦しむのだ。」
「神の声を聞け。もはや逃れる術はない。」

『ジャンケットバンク』天堂の言葉です。
♦アインシュタインは、チューリッヒ連邦工科大学の受験に落ち、一浪している
あまり知られていませんが、人類史上の天才・アインシュタインは、大学受験に失敗し、一浪しています。
♦クロちゃんは、57校の学校を受験し、二浪の末、短大に入る
あまり知られていませんが、お笑い界の別枠・クロちゃんは、二浪の末、57校の学校を受験し、短大に入学しています。
過去欧米で行われてきた学力のみを図る入試や、現在の日本で行われている学力のみを図る入試では、人の能力の一部しか診る事が出来ません。
否、学力のみを図る入試制度では「協調性」「外向性」が高い学校における優等生、否、教師にとって都合のいい生徒しか評価がされず、そこに多様性は生まれません。
「なんの得がある?そんなまどろっこしい戦い方に。」
「何がしたいかだと?初めから言っているだろう。善行だ。私は、神なのだから。そして、何が得かなど明白だ。懺悔によって、愚か者の人生が好転しただろう?」
「神懸かり的に恩着せがましい男だ、いっそ清々しいな。」
「わけがわからない。一体それにどんな価値があるっていうんだ?お前は初めから僕達の弱みを見抜いていた。勝つために味方の村雨に何かを気付かせる必要はあっても、敵である僕達を救う必要なんて一つもない。」
「度し難い愚か者め。あれほど説いて、まだわからんのか?」
「私が価値あると信じたモノに、お前達の同意など、必要ないのだ。何かの価値など、見出したければ勝手に見出せ。お前達は、どこへ行ってもいいのだから。」

『ジャンケットバンク』牙頭・伊月・天堂・村雨の会話です。
♦学校の成績と、仕事の成果は、ほぼ無関係
クレムソン大学のメタ分析によれば、学校での成績と、仕事の成果との相関関係は、ほぼ無いという結論が出ています。
★スティーブ・ジョブズの学校の成績は、BとCしかなかった
☆『ハリーポッター』作者、J・Kローリングの学校の成績は、殆どがCだった
このような研究の結果もあり、欧米の大学では学力による入学試験を廃止する大学が多く出ており、欧米の一流企業では入社試験において学力を重視する傾向は少なくなっています。
Google本社で働く社員の3割は、大学に行っていません。
大学の価値を偏差値で図るのではなく、大学を卒業した後の実績で図る。
このような世界観を、持つ事が、現在の教育には、必要であると考えます。