…叶うわけねーんだよ。そんな独りよがりの主人公気取った願いなんかー…
…主人公‥いや待て、どっちも同じか?凪が俺を倒す最大集中力を高めた理由と雪宮が盲目的に信じようとしてる感覚は、自分自身を主人公だと信じて、何かを突き動かす‥主人感か…
…そう考えれば玲王も同じ?玲王(アイツ)が、とんでもない集中力を保てるのは、ただ凪にパスを出すためじゃない‥今の玲王(アイツ)が主人公感を感じているからだ‥凪を世界一のストライカーにするという物語(ストーリー)を、玲王は主人公として生きてる。その主人公感こそが挑戦的集中(FLOW)に至る精神性(メンタル)…
…人間の最高表現(トップパフォーマンス)には、主人公感が必要不可欠。そうか‥そんな当たり前のコトを‥俺は理解した(わかった)つもりで見落としてた‥自分の目線だけで他人を語ろうとしてた…
…ゴールが欲しい主人公もいれば、パスを出したい主人公もいる。合理的な物語もあれば、感情的な物語もある。人間(ヒト)は皆、主人公なんだ。この世界は、無数の物語と主人公で回ってやがる…
『ブルーロック』潔の脳内言葉です。
私は、フットボールの試合前における入場前の選手の表情やコミュニケーションの取り方、誰と誰が信頼し合っているのか等を観察するのが大好きです。
さらに、チャンピオンズにおいてはアンセム、EUROやワールドカップにおいては国歌を、どのように歌うのかを観察する事も大好きです。
また、キャプテン同士の握手を交わす時のコミュニケーションを観察する事も大好きです。
それらの光景を見ているだけで、選手がヨーロッパにおいて、どの程度の立ち位置にいるのかを把握出来ます。
その為、どのような試合も、試合前のその光景だけは、きちんと観る癖がついています。
最近数年間の代表の特徴として、クラブにおいて主力や試合に出てなくても、代表においては主力や試合に出る事が出来るという事が挙げられます。
それだけ、フットボールのレベルが上がっている証拠であり、これはポジティブな現象です。
その為か、ヨーロッパの第一線から退いた懐かしい顔ぶれと再会出来る事も、ワールドカップの楽しみ方の1つとなっています。
オタメンディー(アルゼンチン)ロブレン(クロアチア)ゴディン(ウルグアイ)アルデルバイレルト(ベルギー)ベルトンゲン(ベルギー)等、懐かしい顔ぶれに再会出来る事は、嬉しいものです。そのような選手が試合に出ているという事は、その国の選手の中で新陳代謝が進んでいない、進化が止まっている事と同義語でもありますが‥
また、2018年スイス、EURO2020デンマークのように、再現性のある代表チームを発掘する事も、ワールドカップの楽しみの1つでもあります。
予選1試合目を観た中では、私の中では、モロッコ、韓国、カナダが、再現性のあるフットボールを展開しているように映りました。
ハキミがインテル時代のようにエゴを出したプレイをしている事に、嬉しさを覚えました。エゴを出したハキミと、1つのキックのみで試合を決めてしまえる怖さを持つツィエフの右サイドのハーモニーは、期待出来るのではないでしょうか。
クラブではゴールに結びつくずっと以前のパスを出す主人公だとしても、代表においてはゴールに結びつくパスを出す主人公になっている姿を観れる事も、ワールドカップの楽しみの1つです。
自分はアジア人でるという意識を持った事は、あるでしょうか?
私は、20歳の時にインドに行き、マザーテレサの施設でボランティアをする時に、アジア・ヨーロッパ・アメリカ等と振り分けられた時に、始めて自分はアジア人であるという認識を持ちました。
アジアは、世界のフットボールにおいては、後進国です。
それでも、ウルグアイVS韓国、キャプテン同士のコミュニケーションにおいて、ウルグアイ代表キャプテン・ゴディンよりも、韓国代表キャプテン・ソンフンミンの方が、優位性を持っていた事が、アジア人として嬉しかったです。
もちろん、コミュニケーションとはコミュニケーション能力そのものを指しているのではなく、現時点におけるヨーロッパにおける実績を表しています。
アジア史上最高の選手は、世界中の誰と対峙しても、引けを取らない実績を数年間もの間、出し続けています。
ワールドカップのキャプテン同士のコミュニケーションにおいて、アジアのチームが優位性を保つ姿を、私は初めて見ました。
また、20年前の自分が韓国を応援している自分を観たら、びっくりするなと試合を観ていながら、思わず笑ってしまいました。
…そりゃ雪宮と俺が交わらないワケだ‥お互いに主人公感を踏みにじってるから‥俺は無意識に雪宮(アイツ)を、俺の物語(ストーリー)の脇役扱いしてた‥どんなに正しい理屈でも、主人公同士でなければ、新しい成功(ゴール)は生みだせない。俺の思考が浅かった…
再び『ブルーロック』潔の脳内言葉です。