…駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである…
太宰治『貧の意地』の一説です。
あなたは、太宰が好きですか?
それとも、あなたは、太宰が嫌いですか?
好きな人は大好き、嫌いな人は大嫌い。
これが、太宰作品の特徴です。
太宰を嫌いな人の代表として存在していたのが、三島由紀夫です。
…最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしい…
三島由紀夫『私の遍歴時代』の一説です。
…弱いライオンのほうが強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか…
三島由紀夫『小説家の休暇』の一説です。
三島らしい表現に、納得出来る部分も多々あります。
ただ、ライオンであれば、強い方が美しいかもしれませんが、これが、ライオンではなく猫であった場合は、どうでしょうか?
強い猫が美しい一面もありますが、あなたが、一緒に過ごすのであれば、獰猛な猫を選択するでしょうか?
自分にどれだけ懐くのかであったり、甘えん坊であったり、戦う強さよりも見た目の美しさ等に、戦う強さよりも、趣を置くのではないでしょうか?
つまり、強さとは、絶対的なものではなく、相対的なものであるとともに、強さにも何種類、否、何百種類という種類があるのです。
「僕は太宰さんの文学がきらいなんです。」
「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ。」
三島は、大学生の時に、太宰に会いに行き、上記のようなやり取りをしています。
…生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりき息もたえだえの大事業であろうか…
…僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。どこか一つ欠けているんです。足りないんです…
…いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです…
太宰治『斜陽』の一説です。
太宰作品の特徴として、高校生・大学生の時に出逢い夢となったものの、大人になり仕事をするようになり離れたものの、病気・離婚・失業等、人生のある段階でピンチになった時に再び出逢い夢中になるというもう1つの特徴があります。
思春期は、誰もが、多かれ少なかれ、生き辛さを感じます。
まだ、社会に入りきれなくて、社会に嫌なイメージを抱きつつも、非凡ではない自分を知っている為、いつかその嫌な社会に入らざるを得ない事は理解しており、その社会の中に入っていけるのという不安も持ち併せている、これが思春期です。
そして、このような生き辛さを、日本人は、特に他者に話す事が苦手です。
その為「自分に問題があるのではないか?」と感じるのです。
さらに「こんな辛さを感じているのは、自分だけではないか?」とも感じます。
そんな時、本を開くと、太宰が「辛い。辛い。」と言ってくれます。
これは、思春期を生きる若者にとって、大きな救いとなります。
☆本当に気持ちをわかってくれる・同じ気持ちである
★甘えているだけ・駄目な自分に酔っているだけ
上記が太宰を好きな人の意見、下記が太宰を嫌いな人の意見です。
多くの人は、自分のネガティブな一面を、隠しながら、生きています。
しかし、本当は、誰もが、太宰の様に、ナルシストであり、自分に対する甘えが強く、駄目な自分に酔っている部分もあります。
これを、そのまま書く太宰の嘘の無さに、思春期を生きる若者は、心揺さぶられます。
思春期を生きる若者からは、大人も社会も、嘘ばかりに見える一面があるからです。
しかし、大人になっていくと、太宰のように、あからさまに書かれる事に、逆に、耐えられなくなっていきます。
隠したままにしておいてくれ、そこまで見せなくてもいいという様に。
…私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない…
三島由紀夫『私の遍歴』の一説です。
隠したいと思っている所を、思い切り、書いてしまう。
その為、読む方も、恥ずかしくなり、辛くなっていく。
このように、考えていくと、弱い太宰こそ、最も強いのかもしれないという仮説を立てる事が出来ます。
弱い者は、自身の弱さを、隠します。
強い者は、自身の弱さを、隠しません。
私が、感じる太宰の魅力とは「強さ」について、考えさせてくれる所に、あります。
この続きは、また後程。