私の中の家康2

 

 「水よく船を浮かべ、水よく船を覆す。ただ、このことをよく心得られよ。」

 家康の言葉です。

 

 日本史において、中国やヨーロッパの世界観でいう英雄は、ほとんどいません。

 義経にジャンヌダルクを重ねる事も出来ますが、義経のやった事は戦の戦果という剣の矛先のようなものであり、それが日本史に大きく影響したかというと疑問が残ります。

 信長に始皇帝を重ねる事も出来ますが、始皇帝が後の平和を願うが為の犠牲として戦を繰り広げた事に対し、信長は天下布武を目指したものの、その先に自分以外の絵を描く事はありませんでした。行き着く先の絵が自分であるのなら、信長のした事は残虐以外の何物でもないのかもしれません。

 さらに、家康においては、英雄というには、あまりに地味です。

 しかし、不思議な事に歴史を振り返ると、地味な人物の功績こそが、現在の私達の礎となっている事が多いです。

 

 

 日本史を振り返り、現在の日本の基礎を築いた人物と言えば、間違いなく家康です。

 現在の東京の発展の礎を築いたのは、家康です。

 無論、家康が築き、270年続いた江戸時代には、功罪両方があります。

 世界史上稀に見ぬ270年の平和が文化を熟成させ、教養を普及させ、江戸時代の人の90%が読み書きが出来るという教育大国を可能とさせました。

 また、日本の人口動態を見ると、第2次世界大戦後とともに、江戸時代に急激に人口が増えています。

 これは、社会が安定し、食糧生産が豊かになった証拠です。

 江戸時代、世界全体の人口の5%を日本人が占めていたというから驚きです。

 

 しかし、戦国時代の日本人と比較し、同じ民族と思えぬ程に民族的性格が矮小化されました。

 現在にも続く日本人の同調圧力・空気を読む・人と違う事をする人を攻撃する等の特性は、江戸時代に作られ、現在に至るまでに、矮小化どころか、奇形化されてきました。

 戦国時代、日本人の価値観を拡大させた大航海時代の潮流から、日本を閉ざし、キリスト教を禁圧したのは、家康でした。

 戦国時代、突然現れた外国人を受け入れ、キリスト教等の彼らの世界観を信じ、行動する人も多かった事から、当時の日本人は現在と異なり、好奇心旺盛で開放性の高かった人が多かったと推測出来ます。

 鎖国により、日本に特殊な文化を生ませる条件を作り上げる事が出来ましたが、同時に世界の普遍性というものに理解が届かない文化を生んでしまいました。

 この民族的性格は、江戸が終わり、明治、昭和、そして現在に至るまで、私達日本人のDNAに深く刻まれています。

 

 義経、信長、秀吉…、日本史上魅力的な人物は数あれど、現在の日本人の性格や思考、世界観にまで影響を与えた人物は、家康だけです。

 その功罪こそあれ、日本史を現在にまで続く線として捉えた場合、家康程、興味深い人物はいません。