私の中の義経

 

 「必勝の戦法は、敵を包囲するにあり。そのためには、いかなる兵力僅少でも、二手に分けなければならない。」

 源義経の言葉として語り継がれているものです。

 

 先日の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にて、義経が最期を迎えました。

 これまでの美少年の義経像とは異なり、やんちゃな大人子どものような今回の義経像が、実態に近いのではないかと、大河ドラマを観ながら感心していました。

 そのやんちゃな部分が義経の魅力であるとともに、そのやんちゃな部分が義経を死に追いやってしまいます。

 

 義経は、日本史上最初に現れる軍事的天才です。

 同時に、日本史上最初の人気者でもあります。

 人気者、昨今では義経のような人気者が頭に浮かびませんが、古くは王、長嶋、美空ひばり等という類の権力とは関係のない大衆的人気者です。

 義経が木曽義仲や平家に対して行った戦い方は、天が味方をしているのではないかと錯覚する程の成功を収め、その都度都での義経の人気が沸騰していきました。

 法皇から、日銭を稼ぐ男や女、子どもに至るまで、義経という天才に夢中になっていました。

 

 しかし、この人気が鎌倉にいる頼朝に危機感を与えます。

 頼朝が義経を追放し、遂には殺害してしまったのは、頼朝が義経に抱いていた脅威である事は間違いありません。

 そして、やんちゃで裏表がなく政治に全く関心がなかった義経は、自らの知らない政治の世界で、自らが追い込まれている事に気付く事が遅過ぎました。

 

 鎌倉幕府の成立は、それまでの京都支配による不合理な土地制度に対して、徹底的な合理化が遂げられたという革命です。

 しかし、それだけでは、政治史や法律の本を読んでいるかのようで、何の面白みも魅力もありません。

 義経の登場により、この革命は、色を帯び、私達に様々な感情を抱かせ、政治史としての文字だけではなく、義経がいたという風景を抱かせてくれます。

 平板な事実や殺戮という暴力沙汰までが、華麗な演劇性を抱き、私達の想像力を膨らませてくれます。

 

 仮に、義経がいなくても、現代の私達の生活には何の変化もなかったと思われます。

 誰もが「あの時、義経が頼朝に代わって鎌倉幕府を開いていたら。」等とは想像しない所が義経の義経らしさです。

 義経は実在しつつも、多分に芸能的な、舞台役者のような存在であり、政治史とは全く関係がない存在なのです。

 

 「鵯越の逆落とし」「厳島の戦い」「壇ノ浦の戦い」

 天才義経にしか実行出来なかった功績は、現在でも日本史、否、日本人の心の中に輝き続けています。