私の中の龍馬2

 現在岸田氏が閣僚名簿を作り、閣僚が次々に発表されています。

 大政奉還後、西郷は龍馬に新政府の閣僚名簿作成を依頼しました。

 龍馬が作成した閣僚名簿を見て、西郷は驚きます。

 

 「坂本さん、あなたの名前がありませんな。」

 「私は、役人になろうと思ったことがないんです。」

 「では、あなたは何をするんだ?」

 「世界の海援隊でもやります。」

 西郷と龍馬の会話です。

 これを龍馬の隣でみていた後の外務大臣陸奥は、龍馬に比べ、西郷が1枚も2枚も下に見えたと語っています。

 龍馬にとっては明治維新そのものが片手間であり、自分が海外に進出する為の手段として捉えていたように思われます。

 

 長崎の亀山という山を登ると、その登頂に亀山社中という現代の株式会社の原型とも言われる会社がありました。

 亀山社中は、越前の松平春嶽や薩摩の小松、西郷といった人達を口説き、お金を出して貰い、結成し、運営していきました。

 亀山社中が後に海援隊となります。

 

 海援隊の会計係をしていたのが、岩崎弥太郎です。

 世界に進出する夢が叶わず、龍馬は暗殺されてしまいます。

 しかし、海援隊の仕事を弥太郎が受け継ぎ、弥太郎が三菱として、世界に進出するという龍馬の夢を実現していきます。

 

 当時の日本人としての枠に収まりきらない存在であった龍馬は、明治維新後、誰も取り上げる事はなく、忘れ去られていました。

 現代のように龍馬という名前を誰もが知るようになったのは司馬さんが『竜馬がゆく』を執筆した以降からです。

 ゴッホの作品はゴッホが生前中、1枚も売れる事はありませんでした。

 ニーチェの代表作『ツァラトゥストラかく語りき』は出版社を通じて出版が出来ず、初版は自費出版で40部発行し、ニーチェ自ら親戚に配っていました。

 開放性の高い人の言動は、時代が追い付かない事が多いです。

 自身の言動が理解されない時「まだ時代が追い付いていないんだな。」と考えると、肩の荷が下ります。