「想像しろ。舞台は、W杯決勝。8万人の大観衆。お前は、そのピッチにいる。」
「スコアは、0-0。後半A・T(アディショナルタイム)。ラストプレー。味方からのパスに抜け出したお前はー‥GKと1対1。」
「右6mには、味方が1人。パスを出せば、確実に1点が奪える場面‥。全国民の期待‥優勝のかかったそんな局面でー‥迷わず撃ち抜ける。そんなイカれた人間(エゴイスト)だけ、この先へ進め。」
「もう一度、言い改めよう。サッカーとは、お前らストライカーのためにあるスポーツだ。お前以外の人間は、ピッチ上の脇役だと思え。」
…不覚にも‥震えている俺がいるー…
「常識を捨てろ。ピッチの上では、お前が主役だ。」
…だって、こんなの誰も教えてくれなかった…
「己のゴールを何よりの喜びとし、その瞬間のためだけに生きろ。」
…アイツが、俺の運命を握ってるー…
「それが、ストライカーだろ?」
…俺は、ストライカーだ…
『ブルーロック』のプロローグです。
EURO2024ポルトガルVSトルコの3点目、ロナウドは、上記の絵心の描いた同じ場面に直面しました。
しかし、世界一のエゴイストであるロナウドは、パスを選択しました。
結果的に、ポルトガルは3点目を奪い、勝利とともに、2戦目にして決勝トーナメント進出を確実のものにする事が出来ました。
1人の選手として、ポルトガル代表のキャプテンとして、そこでのパスは、正解です。
しかし、自分の得点ではなく、チームの勝利を喜ぶという言葉は、聞き飽きました。
サウジアラビアでも得点王を獲得した世界一のエゴイストには、チームの勝利よりも、自分の得点に喜びを感じ続けてほしいです。
そして、それが結果的に、チームの勝利に繋がる事を、証明してほしいです。
…点を獲ったら、褒めてくれ。獲れんかったら、罵ってくれ。がんばったで賞は、要らん。賞賛か、罵声か、どっちかでええねん。どっちかの中に、居りたいねん…
『ハイキュー』宮侑の脳内言葉です。
EUROにおいて、現段階で、私が最も感動したシーンは、イタリアVSクロアチアで、モドリッチがPKを失敗した1分後に、自らの失敗を帳消しにするゴールを決めた瞬間です。
サッカーをやっていた人であれば、理解出来ると思いますが、ボールは、ピッチ上で最も覇気のある選手の下の前に、転がってくる事があります。
モドリッチのゴールは、まさにそのようなゴールでした。
スパーズ時代、そして、マドリーでベンチにいた時代から知るモドリッチは、最早親戚のような感覚です。
誰もが筋肉質の素晴らしい肉体をしている現代フットボールにおいて、筋肉質ではない細身の身体でプレーするモドリッチの姿を観ると、落ち着きすら感じてしまいます。
私は、応援していた選手の知名度が上がると、熱が冷めてしまう特性があります。
モドリッチに対しても、2018W杯で躍進をし、マドリーの10番を背負うようになってからは、熱が冷めていました。
しかし、今シーズン、マドリーでベンチを温める事が多くなり、その処遇に関して不満を述べながらも、限られた時間の中で彼にしか出来ないプレーを披露する姿に、再び応援をしたい気持ちになりました。
その気持ちを込めて、私は、今回のEUROにおいて、ポルトガルを優勝予想し、デンマークとクロアチアを注目チームとしていました。
イタリアVSクロアチア、クロアチアは、モドリッチの得点で、AT残り30秒までリードをしていましたが、鎌田にパスを出さないホテルの御曹司ザッカ―二の得点で追いつかれ、決勝トーナメント進出を逃してしまいました。
実は、クロアチアは、アルバニア戦でも、ATに追いつかれています。
これは、私の持論ですが、残り時間が少なくなる中、監督が守りの選択をすると、負ける確率が高くなります。
チャンピオンズ、マドリーに負けたバイエルンも、そうでした。
『SLAM DUNK』で山王の監督・堂本がしたように、逃げ切るのではなく、真っ向勝負を挑み続ける事が、勝利への確実の1歩であったりします。
逃げ切るのではなく、真っ向勝負を挑み続ける事で、攻撃する時間が増えます。
攻撃している時間が増えるという事は、相手に攻撃をされないという事です。
さらに、守りの選択をすると、仮に追いつかれてしまった場合、その先、再び攻撃をする時に、切り札となる選手は、もうピッチ上にいない状態になってしまいます。
逃げ切りたい気持ちはわかりますが、私は、クロアチアの敗因は、逃げ切るという選択をした監督にあると分析をしています。
試合後、クロアチアのサポーターは、戦った選手や監督に、声援を贈り続けました。
その光景は、素晴らしいものに見えますが「がんばったで賞」は、要らんのです。
勝敗が見えにくい社会の中、どの世界よりも平等なフットボールの世界だけは、賞賛か、罵声か、どっちかでええねんという世界であってほしいと願っています。
その点、モドリッチに話しかけられ、キレていたブロゾビッチの姿は、私の目には、嬉しく映りました。
「オレたちぁ、別に仲良しじゃねえし、お前らには腹が立ってばかりだ。」
…だが、このチームは、最高だ…
『SLUM DUNK』赤木の言葉です。
EUROの楽しみ方の1つに、いつもは同じユニホームを着ている、若しくは同じユニホームを着ていた選手同士が、違うユニホームを着て、相対した時に、どのような反応をするのかを観る事があります。
ポルトガルVSトルコ、チャルハノールは、隣にロナウドが来ても、微塵も動揺する事も、ありませんでした。
しかし、ミランの元チームメイトであるレオンと、熱く抱擁する姿を観て、イタリア推しとしては、胸が熱くなりました。
イタリアVSクロアチア、チェルシー時代の元チームメイトであったジョルジーニョとコバチッチには、特に交流がありませんでした。
ブロゾビッチは、試合終了直前、インテルの元チームメイトであるバスト―二にタックルをし、イエローカードを貰いました。
ブロゾビッチは、常に審判に意見するブロゾビッチが、審判に意見する前に、バスト―二に「悪かった」と伝えに行っていました。
マドリー時代の、ロナウドとラモスの関係は、100%プロフッショナルなものでした。
ピッチ外での関係は、無いに等しい。
しかし、ピッチに立てば、かたや攻撃の核。かたや守備の核。
利害関係は一致しており、ともに闘おうという姿勢で、団結する。
チームメイトと、仲良くする必要はありません。
利害関係で一致し、ともに闘おうという姿勢で、団結していればいいのです。
日本人の甘酒のようなネチネチした関係よりも、私は、海外のさっぱりした水のような関係が、好きです。