「ったく野暮な年寄り共め。ああは、なりたくないね。」
「若人から青春を取り上げるなんて、許されてないんだよ。何人たりともね。」
『呪術廻戦』五条悟の言葉です。
私が、大学で学んだ中で楽しかった科目の1つに「教育学」があります。
私の中の日本史・世界史が「教育学」で学ぶ歴史が繋がり、日本史・世界史を、これまでとは異なった側面から観る事が出来るようになり、これは私の資産となっています。
原始的な農耕が中心であった古代の社会では、子どもは親や社会の「所有物」とされていました。
古代において、子どもの存在は、取るに足らないものでした。
しかし、1760年~1840年(18世紀後半~19世紀前半)に起こった産業革命によって、子どもは重要な労働力となっていきます。
大人と同様に、働く子どもが増えていきました。
上記のような子どもは「小さな大人」として扱われました。
時を同じくして、ルソーが「子どもは小さな大人ではない」と主張をして「児童中心主義」の考え方を提唱していきます。
このルソーの主張が、後の「幼児教育」の考え方へ繋がっていきますが、大人同様に働いている子ども達の保護・健全育成に関心が向けられるようになったのは、19世紀後半に入ってからでした。
20世紀に入り、子どもの権利を宣言する「ジュネーブ宣言」が国際連盟によって「児童権利宣言」「児童の権利に関する条約」が国際連合で採択された事で、ようやく子どもが権利の行使者として捉えられるようになっていきました。
①健康な心と体
②自立心
③協同性
④道徳性・規範意識の芽生え
⑤社会生活との関わり
⑥思考力の芽生え
⑦自然との関わり・生命尊重
⑧数量や図形・標識や文字などへの関心・感覚
⑨言葉による伝え合い
⑩豊かな感性と表現
幼稚園・保育園等に共通して示されている「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」です。
驚くべき事に日本では、「幼児教育」において上記のような指針が初めて示されたのは1948年「保育要領・幼児教育の手引き」でした。
現在も、日本においては「幼児教育」も「教育」も、1度も社会を経験した事のない「大人子ども」である教師の視野の狭い主観が強く反映されています。
私自身、その恩恵を得た事も、その被害を被った事も、あります。
私は、デューイの「為す事によって学ぶ」という「経験主義・実験主義」の考え方が好きです。
デューイの「児童中心主義」の特徴は、子どもを取り巻く社会的環境のもつ「教育力」を、子どもの成長に欠かせないものとした事です。
デューイは、人間を「経験的存在」として捉え「教育」とは常に経験を再組織し、改造していくものであると主張をしています。
デューイを創始者とする「進歩主義教育」が重視した「問題解決学習」の考え方は、現代の「教育」にも大きな影響を及ぼしています。
その基本理念は、実生活の経験を出発点として「知識」は「子どもが自ら生活の中で問題を発見し、分析して、仮説を立てて検証する」事により獲得されるというものです。
この考え方は「教育」に限らず、どのような生き方にも指針となると思います。
私自身、このデューイの考えを実践し「仕事」「人生」に活かしています。
誰もが必ず通る道である「教育」。
「教育」は、学校に限った話ではなく、また受けるだけのものでもなく、与えるだけのものでもありません。
最近、空海や吉田松陰を始め、多くの歴史上の偉人が「教育」を最優先していた事を、心から理解出来ているような気持ちを持つ事が出来ています。