「同じクラスでいえば…大多数の普通の奴らがB~Cランク。毎回ダントツで学年1位の松中君、親が有名な建築家で英語ペラペラの小笠原と、何をやってもトップクラスの俺ーがAランク。くっくっくっ…センスゼロ。下品。成績ビリグループ。バスケだけがとりえ。だが、それだけに暑苦しい。高校中退男、野宮が欄外のEランク。」
『リアル』髙橋の言葉です。
「〇〇も、西武に最近来ているらしいよ。」
「えー〇〇は、西武じゃないでしょ。」
昨日、西武池袋のエスカレーターにて、聞こえてきた会話です。
昨日、私が育った街にあった「TSUTAYA相良店」が閉店しました。
幼稚園の頃は、動物や魚、昆虫等のビデオを借りていました。
小学生の頃は、サッカーのビデオを借りていました。
中学生の頃は、映画のDVDとCDを借りていました。
高校生の頃は、本を買っていました。
私は、TSUTAYAで流れる映画の紹介等の音声が大好きでした。
幼稚園の頃に聞いた「シャチは人を襲った事がない。」という音声は今でも鮮明に記憶していますし、そこから生き物への興味の幅が拡がりました。
中学生の頃には、そこで聞くハリウッドスターの名前がカッコよく、その日に覚え、かっこつけて、次の日学校で披露していました。
私は、中学生の頃、映画にハマり、TSUTAYAにある映画のDVDは一通り観たのではないかという程、毎週のように映画を借り、観ていました。
そのおかげで、私の中の世界観は拡大し続け、自分の人生以外にも、多くの映画の主人公の人生を生きる事が出来ました。
現在は中学生の時程、映画は観れていませんが、その後も、小説・大河ドラマ・アニメ等、いつも自分以外の誰かの人生を知る事は、癖のようになっています。
高校生の頃は、これまで以上に読書にハマり、特に高橋歩という人の記す文章に、心動かされていました。
私は、自分自身が購入する事は勿論ですが、髙橋歩の本を友達の誕生日にプレゼントしたりしていた為か、小さな本屋の一角に高橋歩の特集コーナーが出来ていた時には笑ってしまいました。
中学生、否、小学高学年になると、自分が学校の中でどの程度の立ち位置にいるのかを意識してきます。
小さな田舎町の影響もあってか、私が育った街は、その意識が顕著であった記憶があります。
その為、AランクでないとTSUTAYAに自由に入る事は許されないという、明文化はされていないものの、誰もが意識していた暗黙のルールが存在していました。
日時を間違えてAランク以外が、TSUTAYAに入ると、学校での立ち位置に強く影響をしていました。
不登校は日中、Aランクは放課後、Bランクは夕方、Cランクは夜と、学校での立ち位置ととともに、TSUTAYAに入っていい時間が決まっていました。
当時の私達にとっては、これだけTSUTAYAはただの本屋ではなく、自分の学校での立ち位置を確認する場所でもありました。
TSUTAYAには、今となっては笑えるような思い出がつまっています。
そんな思い出の場所がなくなってしまう事は、悲しいものです。
街に本屋がある事は、子ども達への投資になるというのが私の考えです。
そして、私には、もう1つ本屋に存在し続けてほしい理由があります。
『アンパンマンの絵本シリーズ』『いない いない ばあ』『金魚が逃げた』等のロングセラー絵本、『バガボンド』『宇宙兄弟』『きのう何食べた?」等のモーニング連載漫画、『進撃の巨人』『五等分の花嫁』『ブルーロック』等のマガジン連載漫画、いずれも文京区の出版社が出しています。
全国の本屋にて、子どもや親、青年達が購入した絵本や本の収益は、文京区に還元されます。
文京区の出版社が稼いだお金が税金として納められ、文京区が住みやすい街・魅力的な街となっていきます。
このような理由からも、私は、本屋に存在し続けてほしいと願っています。
本屋には、様々な思い出が詰まっています。
本屋のビジネスモデル自体を変え、本屋が生き残る事が出来るようにしていく事は、将来の日本への投資になると考えています。