…眠れなくなったのは、つい最近のことだ。多分僕はうまくやれていた。勉強は得意だと思うし、クラスメートとの関係も良好。良好‥良好だったと思う。表面上は…
「ごめん。俺、付き合うとかよくわかんなくて‥。」
…そりゃ嬉しくなくはない。数ある中で最も高感度が高いってことだ。光栄ですらある。でも仕方ないだろ?好きとか嫌いとか愛とか恋とか、よくわかんないだもん…
「夜守くん。なんであの子フッたの?泣いてたよ。」
…おめーは、誰なんだよ。うるせーよ。ブス殺すぞ…
「泣いてたよ。」
「ごめん。」
…だから、女は嫌いなんだよ…
「いってきま‥」「‥めんどくさ。」
…突然何もかも嫌になり、僕は、学校に行くのをやめた…
『よふかしのうた』夜守の脳内言葉と夜守が告白を断った女の取り巻きと夜守の会話、そして、夜守の言葉と脳内言葉です。
30代のゲーテは、仕事に忙殺されていました。
1774年に書いた『若きウェルテルの悩み』は、ナポレオンが何度も繰り返し読む程、世界中で大ヒットしました。
ゲーテの名は知れ渡り、次々と幅広い仕事が舞い込んできました。
30歳の誕生日を迎えた数日後には、枢密院顧問官に任命され、ヴァイマル公国の政治家としてリーダーシップを取ります。
ゲーテの職務は、多岐に渡りました。
消防法の改正・道路の整備拡張の責任者・軍事委員も兼任していました。
ゲーテを最も苦しめたのは、仕事自体の多忙さではなく、人間関係の問題でした。
ゲーテは、26歳の時に、知人の侯爵カール・アウグストから招かれる形で、故郷のフランクフルトからヴァイマル公国に移住しています。
つまり、ゲーテはよそ者だったのです。
アウグストも、柵にとらわれない改革をゲーテに期待しておりましたが、地元生え抜きの役人達と渡り合う日々は、ゲーテにとって大きなストレスでした。
「宮廷を訪ね歩いてはお世辞を並べ立てているから、あたり一帯の宮廷の執事に早晩任命されるかもしれない。」
友人が書いたゲーテを記した手紙からも、ゲーテが人間関係で苦しんでいた事が理解出来ます。
何もかに嫌気がさしたゲーテは、こんな愚痴もこぼしています。
「誰も知らない。私が何をしているのか。そして、わずかなことを成し遂げるにも、いかに大勢の敵と戦っているかを。」
そんな中でも、ゲーテを気持ちを立て直し、自分を奮い立たせます。
「義務を果たすことは辛い。だが、義務を果たすことによってのみ、人な内面の能力を示すことができるのだ、好き勝手に生きることなら誰でもできる。」
ストレスを乗り越えようと自分を奮い立たせてきましたが、ゲーテの心は限界に近づいてきました。
政治の世界、人間関係の問題から離れて、学問と芸術に打ち込みたいという気持ちも膨らんでいました。
「翼はあるのに使えない。そんな気分だ。」
知人への手紙に、上記の言葉を記しています。
ゲーテは、政務を投げ出し、イタリアへ逃亡します。
イタリア滞在は2年に渡り、イタリアでの経験を基に『イタリア紀行』をまとめ、これが名著となります。
その後『ファウスト』を発表し、ゲーテの名は後世まで語り継がれる事になります。
『ファウスト』は人間関係に苦しみ、逃げる事も経験したゲーテだからこそ、描けた世界観であると私は感じています。
壁は乗り越えずに、逃げてリセットする選択肢もあるのです。