維新三傑の死

 大久保、西郷、木戸の維新三傑は1年以内に皆最期を迎えます。
 大久保は紀尾井坂で暗殺、西郷は西南戦争にて自害、木戸は肺の病にて最期を迎えます。
 明治維新に最も貢献をした3者が同じような時期に最期を迎えたことは運命の悪戯のようにも感じます。
 大久保は、西郷亡き後変わった行動をとります。
 文に才ある者を呼び、西郷との幼き頃の思い出を語り、記録として残させました。
 大久保と西郷の家は、数軒先の近所であり、極貧生活を送っていた大久保は毎日のように西郷家に足を運び、食事を恵んでもらう等、家族単位で深い付き合いをしていました。
 大久保の才に誰よりも早く気づき、京や江戸にて活躍できるよう推薦したのも西郷でした。
 2人は兄弟のように幼き頃から、ともに学び、ともに笑い、ともに泣き、生涯の歩みを進めてきました。
 2人は国創りの思いこそずれど、それぞれを憎みあったりはしなかったのではないでしょうか。
 国創りと友情は別物なのでしょう。
 岩倉使節団からの大久保は、人が変わったように冷徹に表現されます。
 当時の記録にも、「内務卿の足音が聞こえると、騒がしい建物内は、一気に静まり返った。」と記されています。
 その大久保の唯一の理解者は、西郷であったことでしょう。対立すれど、亡くなれど、大久保の理解者は西郷だけであったでしょう。
 西郷亡き後も、大久保と西郷の関係性を想像できる逸話です。