自分の事を三人称視点で語る

 よく「人生の主役は、あなたです。」等という言葉を聞きます。

 私は、この言葉がどうも納得出来ませんでした。作品で例えるなら、私は、俳優ではなく、監督になりたいし、さらに言えば自分の人生を作品と考えるのであれば、第三者として、客席から自分の人生を客観的に観ながら、その都度修正をしていきたいと考えています。

 矢沢永吉が自らの事を矢沢と呼ぶのは有名な話ですが、歴史を振り返ると、古代ローマの皇帝カエサルも自らの事をカエサルと呼び『ガリア戦記』を執筆しました。

 『ガリア戦記』は、ガリア地方(現在のフランス)に遠征した時の事が描かれ、7巻で構成された書物には、7年間に及ぶ戦争の記録が執筆されています。

 また、カエサルの秀でている所は『ガリア戦記』がただの戦争の記録ではなく、遠征先の文化や風習等についても描くという旅行記の側面も描いた所です。名著として現在まで語り継がれ、ラテン語のテキストとして現在も広く利用されています。

 その『ガリア戦記』の中でも「私は今日、フランスに到着した。」と表現すべき所を「カエサルは今日、フランスに到着した。」と執筆しています。

 カエサルが執筆した事を知らなければ、フィクションか他の人が執筆したかのように勘違いしてしまいます。

 では、カエサルは何故このように自身を三人称のように描いたのでしょうか?

 それは、本に客観的な印象を持たせる為です。第三者視点で自身の戦功を記録する事により、自身をプロモーションしていました。確かに、一人称で自身の戦功を記録するした文章よりも、第三者視点で戦功を記録した文章の方が、読む方からすると、信頼性が高くなります。

 このカエサルの狙いは的中し『ガリア戦記』はローマでベストセラーとなり、現在まで語り継がれています。

 心理学の視点から見ると、カエサルの狙いとは別に三人称で自身の言動を表現する事には大きな効果があります。

 三人称視点で自身の言動を表現する事には、ストレスを緩和し、自己肯定感をアップさせる効果があると「ScientificReports」において発表されています。

 当事者であるという立場を一旦離れる事で、自身の感情を客観的に観察する事が出来るようになり、それが心理的な安定に繋がるというロジックです。

 異国への遠征でストレスにさらされていたカエサルも、無意識のうちに、この習慣の心理的な効果に頼っていたのかもしれません。