…自殺なんてないのさ 誰が君を殺した? 分かり合えない世界はスルー 嘘 どうしても変えたい…
『街録ch』主題歌『Rude』の歌詞です。
キャンドルジュン氏の、記者会見を観ました。
私は、1年程前『街録ch』にて、キャンドルジュンの回を観て、彼が抱えていた親との葛藤・自分自身との葛藤・広末涼子と結婚した後のマスコミとの葛藤、そして、彼だけでは到底解決する事等出来ないであろう戦争や災害の事まで、彼自身が葛藤として抱えている事を知りました。
私は、普段テレビを観ない為、この手の記者会見等は観ないのですが、上記の縁もあり、観てみる事にしました。
結論から言うと、キャンドルジュンの主張する事に、同意出来る部分が多々ありました。
彼が、1番防ぎたかった事は、名前も顔も出さずに、匿名で彼や家族に攻撃をしてくる人達でした。
その為、記者会見においての記者からの質問に対しては、記者自身が彼の横に座り、顔と名前を出した上で質問をするというスタイルが取られました。
これにより、名前や顔が出ない事による人を傷付け、世間の関心を集めるだけの質問を防ぐ事が出来ます。
丁度、同じタイミングで私自身も、匿名に対する対応を考え、取り組んでいた時期とも重なった為、彼の主張が腑に落ちたのかもしれません。
人が、最も怖いものは、未知です。
先行きがわからない・誰が相手なのかわからない・明日がどうなっているのかわからない等の未知の状態が、人が最も怖く、最もストレスが掛かります。
コロナウイルスに例えれば、わかりやすいでしょうか。
コロナウイルスが蔓延し、初めての緊急事態宣言が出された2020年4月、そのウイルスの未知の状態に、そして、明日さえどうなっているのかわからない局面に、誰もが恐怖しました。
それから3年2ヵ月程度が経過し、現在では、コロナウイルスの脅威自体は何ら変わっていないものの、コロナウイルスに対する恐怖は薄れています。
その理由は、コロナウイルスがどういうものなのか、どういう経緯を辿るのか等を知る事が出来たからです。
匿名は、この未知を作り出します。
相手が誰かわからない場合、言われた人は疑心暗鬼となり、世の中全ての人を疑い始め、次第に心を病んでいきます。
この見えない攻撃が重なり、著名人を始め、多くの人が命を落としています。
享保の改革にて、徳川吉宗が実施した目安箱。
誰もが、学校で1度は習いますが、実は学校では教えられない目安箱の話があります。
それは、目安箱には誰もが意見を書き投函する事が出来たものの、匿名のものはすぐに焼き払われたという事です。
つまり、どのような意見も、名前と住所を書かなければ受け入れられなかったのです。
その反面、名前と住所が書かれていれば、どのような意見も吉宗自身が見ていました。
私は、この事実を知り、感動した事を覚えています。
私は、苦情を言う人には、名前を名乗らせる。
名前を名乗らない、若しくは相手に名前を知らせる事を許可しないのあれば、苦情を受け入れない。
このような仕組みを、会社や役所等、どのような組織にも取り入れるべきであると考えています。
苦情の目的は、それを伝える事により、その苦情相手の仕事をもっと良いものにしていく、さらにはその業界をもっと良いものにしていく事であるはずです。
それが、いつの間にか、自分自身の感情を満足させる為だけの捌け口となってしまっています。
名前を名乗られ言われた苦情であれば、言われた方も具体的にその場面を振り返り、失敗から学ぶ事が出来ます。
しかし、名前も名乗られない苦情であると、どの場面なのかを知る事も出来ず、失敗から学ぶ機会すらなく、そこにあるのは自己批判だけとなってしまいます。
「争いのない世界を作りたい」
キャンドルジュンが灯したキャンドルの炎には、そのような願いが込められています。
私は、彼の記者会見が、無駄な争いをなくす為の1歩目に繋がる事を願っています。