蜻蛉切

 

 戦国の世を制して、江戸幕府を開いた徳川家康。

 功績を多く立てた側近中の側近を「徳川四天王」と呼びます。

 酒井忠次・本田忠勝・榊原康政・井伊直政が、徳川四天王です。

 

 その中でも、武闘派と言えば本田忠勝。

 生涯57回の戦場に出て、1回もかすり傷すら負わなかったと語り継がれています。

 その忠勝の愛槍が「蜻蛉切」です。

 

 

 現在、静岡県三島市の佐野美術館にて「蜻蛉切」が一般公開されています。

 私も、先日「蜻蛉切」に逢いに、三島市まで足を運びました。

 「蜻蛉切」は個人が所有している為、中々一般公開されません。興味のある方はこの機会に、是非ご覧になってみてはいかがでしょうか?

 

 「蜻蛉切」は「御手杵」「日本号」とな並び「三名槍」と称されています。

 総身二丈(6m)刃の長さ一尺四寸(68㎝)の「蜻蛉切」は、通常の槍よりも長く、これを軽々扱った忠勝の武勇を知る事が出来ます。

 名の由来も、刃の先に止まった蜻蛉(トンボ)が真っ二つに切れてしまった事からきており、名の由来からも「蜻蛉切」の強さを伺わせます。

 

 1572年遠江へ進行してきた武田軍に、徳川軍は大敗します。

 三方ヶ原の戦いです。

 殿を勤めた忠勝は、黒塗り鹿角の兜をつけ「蜻蛉切」を持ち、ただ1人で武田軍に睨みを利かせました。

 武田軍が攻めれば引き、引けば押す。

 この忠勝の巧みな動きにより、徳川軍は全滅を回避する事が出来ました。

 

 

 「蜻蛉切」に逢いに来ていたのは、勿論『刀剣乱舞』を愛する刀剣女子達でした。

 母と娘の親子で来ている来場者も多く『刀剣乱舞』が世代を超えて愛されている事を知る事が出来ました。

 『刀剣乱舞』で擬人化された刀剣の展示による経済効果は4億円とされ、刀の復元の為に寄付を募ると数日で数千万円の寄付が集まります。

 

 経済的に衰退していく日本を救うのは、推しへの愛です。

 推し活をする人達は、推しに恥を欠かせなない為、そして「このキャラクターを推している人はこんなに素晴らしい人なのか」と思って貰いファンを増やすように振る舞う為、気持ち良く同じ場所で過ごす事が出来る事も、推し活をする人達の素晴らしい所です。