衰退は絶頂の中で始まる

 秦の始皇帝が中華統一を果たし、わずか15年で秦は滅亡します。
 万里の長城建設や始皇帝の墓の建設等、何百万人の人達が労働を強いられました。
 これにより、畑を耕す者はいなくなり、国民は飢えに苦しみます。
 食欲が満たされなければ、文化の発展も望めず、結果国力は衰退していきます。
 人々の心は、「これなら前の方が良かった。」となります。
 さらに、元々中華7国はそれぞれ文化も異なり、話す言葉や書く文字すら異なりました。
 法治国家という概念で、同じ法の下に治められることに対し、反発を抱く者も多数現れます。
 そして、国の中心では始皇帝の言葉に誰も逆らえなくなっていました。
 これにより、国家運営に疑念を抱いても、誰も始皇帝に意見ができない状況が続き、国家運営の見直しができませんでした。
 国民の不満や反発、さらに国家運営の怠惰は、始皇帝の死とともに爆発します。
 秦一国で他の6国を滅ぼした軍隊にもかつての強さは残っておらず、簡単に反乱軍に負けてしまいます。
 衰退というのは、絶頂の中からすでに始まっていることを始皇帝から学ぶことができます。