誰とでも平等に接することの良し悪し

 「高橋さん本読んでますよ。私も2月にインドに行こうと思っています。」
 山口県下関市のトイレにおいて、当時好きであった著者高橋歩氏を横にして私が投げかけた言葉です。
 何冊も読んでいる本の著者を横にして普通に会話をしている自分自身に驚きました。
 高橋氏の他にも数人本の著者や政治家等とも必然または偶然に会った時にも自然と会話をしていました。
 過去を振りかえると、学生時代から私はサッカー部からパソコン部まで様々なキャラクターの友人と交流を持っていました。
 私のおじいちゃん・おばあちゃんが営んでいたラーメン屋には、高校時代の男子のほとんどが訪れたような気がします。
 これは私の良い点でもあり、悪い点でもあります。
 たとえば、サラリーマンとしては悪い面として働くことがあります。
 上司や社長に対しても、いつもと同様の態度や雰囲気で相対してしまいます。それを「こいつ将来性があるな。」と感じるのは非現実なテレビや映画の世界だけです。
 しかし、現在のように会社の代表になると良い面として働きます。
 「社長」「先生」等と呼ばれても何とも感じないし、おいしい話をされても常に裏を冷静に考えることができます。
 また、社長や先生という立場で分け隔てなく接するだけで「いい人」と思われます。
 「学校では誰とでも平等に接しましょう。」と教えます。しかし、これは間違いです。
 社会は、平等ではありません。誰とでも平等に接する能力を見極め、使い分けることが大切です。