超南北朝時代ー二千年後の君へ6

 

 

 「言葉を禁じても、差別などなくならん。そもそも生物には、差も別もあるのだから。」

 「あるがままで結構なのだ。敬意さえ通じ合えば。自分の敬意は行動で伝え、相手の敬意は心で読み取る。それさえ守れば、どんな両者も一つにまとまる。」

 

 「敬意‥。」

 …そうだ。敗軍の将の幼子にも敬意を払い、わざわざ危険を冒して、私に会いに来てくれた…

 …蔑まれても、罵られても、不快感が無かったのは、奥底に純粋な敬意を感じたからだ。この人は、敬意で人を動かす将なのか…

 

 ‥貴族である北畠顕家に、武士に対する強い差別意識があったのは間違いない‥

 ‥だが、それでも北の荒くれ者達は、過酷で無謀な二度の長征(ちょうせい)に、命がけで忠実に従った‥

 ‥綺麗事や上辺だけの平等ではなく、真の信頼関係を築ける力が、彼にはあった‥

 

 『逃げ上手の若君』北畠顕家の言葉と北条時行の言葉・脳内言葉、そして南朝の貴公子・北畠顕家に対する解説です。

 

逃げ上手の若君】北畠顕家、強い : ねいろ速報さん

 

 

 

 

 大阪‥新世界・天王寺の近くに、南朝の貴公子・北畠顕家を、神とする神社があります。

 

  ♦阿倍野神社

 

 北畠顕家が、楠木正成とともに、足利尊氏を打ち破った戦の跡地に、その神社は建てられています。

 

 

  ♦南北朝時代

 

 誰もが1度は聞いた事があるものの、理解が出来ている人は、少ないのではないでしょうか?

 「南北朝時代」をシンプルに表現するのであれば、天皇が2人存在した時代です。

 

 

  1336年:北畠顕家・楠木正成に敗れた、足利尊氏は九州で再起

 

 「湊川の戦い」で楠木正成を破った尊氏は、再び京都を占領します。

 当時の天皇であった後醍醐天皇を追放し、光明天皇を擁立して、室町幕府を創立します。

 

 後醍醐天皇は、吉野(奈良県吉野市)に逃げ、そこで自ら天皇を名乗り、国を作ります。

 これにより、天皇(朝廷)が2人存在する日本史上類を見ない「南北朝時代」が訪れます。

 

   ★足利尊氏 :北朝

   ☆後醍醐天皇:南朝

 

 

 北畠顕家は、南朝側の戦う公家でした。

 

 

 …連載当初からお手紙を下さり、こんな御朱印まで発売して頂きました…

 『逃げ上手の若君』作者・松井優征のコメントです。

大阪】阿部野神社でいただいた『逃げ上手の若君』とのステキな北畠顕家公の【コラボ切り絵御朱印】 | ~ Destiny 癒しの神社仏閣 御朱印巡り ~  媛うさぎ☆

 

 

 現在、阿倍野神社では、枚数限定で上記の御朱印が、販売されています。

 『逃げ若』ファンであれば、是非手にしたいものです。

 

 それにしても、神社の方から作者にラブコールをし、コラボを実践する所も、どこか北畠顕家を思わせるような逸話であり、面白いです。

 

 

  ☆中国大返し

  ★風林火山

  ☆大政奉還

 

 豊臣秀吉・武田信玄・坂本龍馬の、伝説です。

 

 しかし、上記3つを、戦国時代の200年以上以前に、南朝の貴公子が、実現していました。

 

 

 尊氏が後醍醐天皇に最初の謀反を起こした時、北畠顕家は、後醍醐天皇に命じられ、陸奥国(現在の東北地方一帯)を統治していました。

 援軍の要請を受けた北畠顕家は、陸奥国から京都を目指します。

 

  ☆10日で230㎞

  ★22日で800㎞

 

 上記が秀吉の中国大返しの進軍速度です。

 下記が北畠顕家の進軍速度です。

 

 なんと、秀吉の伝説の200年以上前に、北畠顕家は、秀吉軍の1,5倍の速さで進軍を成功させていたのです。

 

 

 この続きは、また日程。