「言葉を禁じても、差別などなくならん。そもそも生物には、差も別もあるのだから。」
「あるがままで結構なのだ。敬意さえ通じ合えば。自分の敬意は行動で伝え、相手の敬意は心で読み取る。それさえ守れば、どんな両者も一つにまとまる。」
「敬意‥。」
…そうだ。敗軍の将の幼子にも敬意を払い、わざわざ危険を冒して、私に会いに来てくれた…
…蔑まれても、罵られても、不快感が無かったのは、奥底に純粋な敬意を感じたからだ。この人は、敬意で人を動かす将なのか…
‥貴族である北畠顕家に、武士に対する強い差別意識があったのは間違いない‥
‥だが、それでも北の荒くれ者達は、過酷で無謀な二度の長征(ちょうせい)に、命がけで忠実に従った‥
‥綺麗事や上辺だけの平等ではなく、真の信頼関係を築ける力が、彼にはあった‥
『逃げ上手の若君』北畠顕家の言葉と北条時行の言葉・脳内言葉、そして南朝の貴公子・北畠顕家に対する解説です。

大阪‥新世界・天王寺の近くに、南朝の貴公子・北畠顕家を、神とする神社があります。
♦阿倍野神社
北畠顕家が、楠木正成とともに、足利尊氏を打ち破った戦の跡地に、その神社は建てられています。
♦南北朝時代
誰もが1度は聞いた事があるものの、理解が出来ている人は、少ないのではないでしょうか?
「南北朝時代」をシンプルに表現するのであれば、天皇が2人存在した時代です。
1336年:北畠顕家・楠木正成に敗れた、足利尊氏は九州で再起
「湊川の戦い」で楠木正成を破った尊氏は、再び京都を占領します。
当時の天皇であった後醍醐天皇を追放し、光明天皇を擁立して、室町幕府を創立します。
後醍醐天皇は、吉野(奈良県吉野市)に逃げ、そこで自ら天皇を名乗り、国を作ります。
これにより、天皇(朝廷)が2人存在する日本史上類を見ない「南北朝時代」が訪れます。
★足利尊氏 :北朝
☆後醍醐天皇:南朝
北畠顕家は、南朝側の戦う公家でした。
…連載当初からお手紙を下さり、こんな御朱印まで発売して頂きました…
『逃げ上手の若君』作者・松井優征のコメントです。

現在、阿倍野神社では、枚数限定で上記の御朱印が、販売されています。
『逃げ若』ファンであれば、是非手にしたいものです。
それにしても、神社の方から作者にラブコールをし、コラボを実践する所も、どこか北畠顕家を思わせるような逸話であり、面白いです。
☆中国大返し
★風林火山
☆大政奉還
豊臣秀吉・武田信玄・坂本龍馬の、伝説です。
しかし、上記3つを、戦国時代の200年以上以前に、南朝の貴公子が、実現していました。
尊氏が後醍醐天皇に最初の謀反を起こした時、北畠顕家は、後醍醐天皇に命じられ、陸奥国(現在の東北地方一帯)を統治していました。
援軍の要請を受けた北畠顕家は、陸奥国から京都を目指します。
☆10日で230㎞
★22日で800㎞
上記が秀吉の中国大返しの進軍速度です。
下記が北畠顕家の進軍速度です。
なんと、秀吉の伝説の200年以上前に、北畠顕家は、秀吉軍の1,5倍の速さで進軍を成功させていたのです。
この続きは、また日程。